2024/11/1(金)
朝帰り。
去年はパリだった。
八文字屋の売上はがいして良くなかった(11月)。
4時保険王生に八文字屋で会う約束。
古本市で萩原延壽著「陸奥宗光」(朝日新聞社)総計800頁近くあるのが、¥800。
ヒルゲートとマロニエに行く。中国人2組総計3人はメニューがないというと、サッと写真を撮り、少し写真集に一瞥くれて帰っていった。
マンドリン弾きの日本人男とポーランド女性カップル(Beautiful Women in Kyotoに登場のポーランドの見知らぬ女性と連絡を取ったところ、通じて今度は八文字屋に2人来る、と言う)。京大生奥山君、2回目?来店。「広島カープ友の会」らしい。
シルヴァン&さえちゃん、高見沢の亭主ら数人来店。
近々、サエちゃんらがフランスに発つので送別会?
結構賑わう。
2024/11/2(土)
FBに貝原浩のサインシーン写真をだす。池田浩士さん、下平尾さんらが背景。東京芸大の日比野克彦らの写真も「怪爺の気まぐれ展」で出す。サッちゃんが荒神橋付近で面白い顔をしているのをアップ。
そこで思案。「甲斐写真の全貌」も面白いけど、カイトークと同じレベルでぶっ散らかるけど、日乗の中に時空を超えた写真が登場する本、これ、絶対イケルと思う。
小川さん経由で才谷遼さんからフライヤーとチケットの束「ユーリー・ノルシュテイン「文学と戦争を語る」」100枚預かる。
11月8日より、京都アップリンクにて上映!!
木屋町通八文字屋には割引チケットがあります!
小雨時に帰宅。午後の雨の間眠る。
コレクションで佐古田ちゃんの仲間の渡辺君に会う。
18時開店するも早い時間帯は誰も来ず。常連の日本人ゼロの夜。
お客さんは、オランダ、スペイン、ベルギー、ドイツ、フランス、オーストラリア、中国の混合部隊風になった。別々の客がいつしか繋がって行った。
珍しく台湾、韓国が居なかった。
深夜、隣の中国人経営のバーのマスターが「今から行きたい」と言ってくれたが、体調不良と明朝の予定を考えて断る。更に2時の来客も断る。思えば、贅沢なことだ。「2000年の八文字屋の美女」写真集の表紙のさやかさんが美女美男を同伴。美男が隣に居る客全員に日本酒を御馳走するひと幕もある。
近藤玲子さん、西田大智さんがTシャツを取りに来る。
2024/11/3(日)
漫画家のつげ義春さんに文化勲章だって!そんなもんでしょう。
マダンでは、東九条マダン寸見。段ちゃんを追っただけ。
ここでしか会えないひと(朝日ちゃんの友人一家)、久しぶりのRyotaro &赤ん坊、建築家の藤田さんにも会えたが、熱っぽいので引き返す。
秋晴れの夜、それも日曜日とくれば、夜の八文字屋はガラガラと相場は決まっている。昨日もっと頑張れば良かったなんて、おもわず、それはそれで今晩も楽しみます。
暇かと思いきやさにあらず。大西さんの慶応の仲間、フィリピン等の外国人グループ来店。
2024/11/4(月)
朝の先斗町のアクティブな猫写真を撮る。
末川協さんグループが仕上げた北隣の店、今日も朝から長蛇の行列が出来ている。
りわちゃんもTシャツ買ってくれる。
コロタイププリントを買ってくれたカナダ人のコディ教授が大勢同伴。スイス人の友人の友人来店。大変賑わう。
2024/11/5(火)
早朝の爽やかな散歩。思い思いに運動を鴨川でやっている群像の光景を撮影。
青ちゃん、Tシャツを買ってくれる.
よく考えたら、ここのところ働き尽くめだ。風邪もひくわい(笑)。
もう今晩はお客さんはないかな、と思っていたが、さにあらず。真言宗豊山派のお坊さんが先ず、3人で来店。Tシャツも買ってくれる。ガリマール社の“Kyoto”本を見て来店のパリの写真家の母と娘、上海からカップルも来店。
混んでいたのは20:45~21:50のみ。みな、ゆったり、ゆっくり飲んでいてくれるので、次に来たノルウェーの熊さんなどの巨漢組が入れなかった。
22:00にはオーストラリア組5人を残して皆帰って行った。モルドヴァの美しい女性がカウンターに入って来てツーショットを撮ったが、生憎ぼくのカメラでなかった。
2024/11/6(水)
Tシャツのマネキン怪爺をInstagramに投稿したら、なんと19時間で413人の「いいね」がついた。拙Instagram投稿上、最速最高。
佐古田ちゃんらの同時代ギャラリーに行く。オーナーの大山さんには会えず。夜、因島出身のアーティスト串野真也さんが樂吉左衛門さんらを同伴。串野さんの彼女はSMクラブで働いていると言う。彼らの共通の友人の裏千家の詩人?チョリが死んだと聴く。
チョリは長いこと顔を出してなかった。初対面(精華大生時代)のぼくに向かって「今、ぼくには、京都で会いたい人が2人いて、そのひとりが甲斐さんで、今日はカイさんに会えて嬉しい」と言った青年だ。裏千家の宗匠になる道を早くから蹴っていた。
ジュリー、森下光泰さんも鉢合わせ。そこへ作家増山実さんがTシャツを買いに来た。そんなこんなでわいわいやっているところに元バイトでチューリッヒ工科大助教のヴィクトリアが、チリのハビエンヌと登場。Tシャツを買う。
2024/11/7(木)
保険書類作りで印鑑を忘れる。
中川裕孝展@マロニエ覗く。的野哲子さんが四条半で個展開催中と聴く。
ぼくは筆力、体力、エネルギーを喪失した。
勝田光信さんら元島津の3人来店。八文字屋の口コミで最大限褒めてくれる。
遅く、杉村さんは、永澄さんも連れて元同僚のハワイ住まいのトーマスさんを同伴。
2024/11/8(金)
ユーリー・ノルシュテインの「ひとりじゃないんだよ」「戦争と文学を語る」を見に行く。
ぼくは才谷遼さんの企画ということだけでアップリンクでのユーリー・ノルシュテインの上映を応援している。
何も知らないので、京都での今日の初日に観に行く。
八文字屋で割引券を売っています。的野哲子さん展示にも行く。
はるばる来たヴィクトリアもTシャツを買ってくれた。
チャリンコアウト。
今日は急に寒くなったので来客はヒデタロウくらいしか望めないな。
浅利ちゃんバイト。
斎藤林昌来店。
関西のシャンソニエで圧倒的な人気を誇るシンガーの玉田さかえさん(神戸出身)とツーショットを撮る。玉田さんもTシャツ買い。
岡ヤン来店。Tシャツ写真を撮る。冨樫も来店。昔、親父と来たという、元同志社政治学科の男、GFと来る。
東京の中村医師の息子さん(農林中金勤務)が同僚のGFと来店。
2024/11/9(土)
チャリンコを買う。これまでは、7~8千円の中古だったが、高騰して2万円以上の中古が主流になっている.
いつから始まったのかな?
高瀬川彫刻展。今年は貴志カスケさんの姿がない!
本日八文字屋は19時開店です。
と同時にイタリア人(ひとりはスペイン系)量子物理学者2人が来店。
ついでスイスからの若いカップル、そしてオランダのカップルも。
スペイン系の学者はお土産に拙写真集を4冊買ってくれる。もうひとりはよく道ですれ違うダニエーラ。それからパリのカップル、ワシントンD.C.のカップル(女性は教師、男はペンタゴン勤務)女性はTシャツを買う。共同通信の(調さん、女は上田さん)記者来店。上田さんは秋田で斉藤林昌と一緒だった。今、京都支局で一緒。祇園でのライブ帰りの埴生美伽子さんら妙齢の男女と続く。ボロボロの酔っ払いのおっちゃん、そして最後は、元河合塾の新井勝憲さんら。
元朝日の増田さん来店。
ポーランドからのカップル。
年に何回か来店する神戸の税理士と共同の調さんとの共通の友達がいるのに気づく。
もう一つの眼鏡の玉も落ちた。
なんとかせねば。
やれやれ、何かと物入り。
四国のお香屋さん「一」株式会社から何度目かの入荷商品「ほんやら珈琲香」が到着。八文字屋の隠れたベストセラーです。深夜、元河合塾の新井勝憲さん、吉田寮のトランスジェンダーの上田さん、ともうひとり、僕のことを知っている男と来る。
2024/11/10(日)
朝から猫を追う散歩?
印鑑を探すが出て来ず困り果てる。
拙写真オリジナルTシャツの注文(小さな)ラッシュ??は終わったかな。
次は、明日くらいに出る?同志社大学広報誌ONE PURPOSEでほんやら洞紹介で登場するのは波になるか?
更に、月末の「芸術新潮」の「京都を撮った10人の写真家」でデヴィッド・ボウイ(の写真付きで)撮った方と同じ頁に、拙写真「狸橋のシャボン玉少女」が紹介される。それがTシャツ購入の波になるか?
もう少し頑張って売らなければ、、、。メガネの修理に行く。
今という時代をどういう形で捉えるか?
坂本りんたろう君の知人の写真展に行く。
店を開けると京大農学部助教で表で躊躇している客をヒデタロウが招き入れる。そこで開店。
トップは京大農学部助教の内藤先生同伴のマレーシア科学大学の人類学教授のLye Tudk-Poさん一行。Lyeさんは、2007年から甲斐写真ファンで写真集をたくさん持っていて、いまは写真を教えているらしく、帰る前に、嬉しいことに、甲斐写真に会いたいということで来店。来年6月にマレーシアに来ないか?と言ってくれる。いまは、テナガザルの鳴き声の研究もやっているとのこと。写真集を仲間(多分、助教授)と共にたくさん買う。助教授の方はTシャツを買い、甲斐さんをマレーシアに招待できるようにしますという。
ついで、明日、大阪にレジオヘッドを聴きに行くと言う北京の25歳と29歳の女性来店。入るなり、一緒に写真に写って下さい!という。
更にポーランドのベロニックさんが写真集を買いに来る。
みんなが帰り、寝ているところ、来客あり、串野真也グループ遅くなる。3時30分閉店。
2024/11/11(月)
ぼくには以下のようなことでイライラして、何も手につかないという精神の脆弱さがある。
「どうやら口座登録の印鑑を紛失したようで、火災保険に加入書類を印鑑登録をやり直して再契約だ。それに、「免責事項」の意味がわからない。善意の勧誘者の話をぼんやり聴いていて、早く済ませたいのに今頃、参ったなと思っている。ボケ続きで参ってもいる。」その結果を早めに見据えねば。という具合に数日ウダウダ考えていたが、印鑑は前に履いていたズボンから出てきて、書類行方不明だったが出てきて血圧が一気に下がる。
日曜日で、昨日に続き、日中は好天に恵まれたので、来客は望めないとおもっていたが、左にあらず。
イギリスのいかにも上流階級の子女らしき女性も2人、エジプト系、何々系のフランス人が数人現れ、上海客も5人、ハンク・オズボーン家族のように40年前のほんやら洞客(瓜生久美子の友人)、満生さん、ヒデタロウらで賑わい、ハンクさんのライブも聴ける。Tシャツも5枚、写真集もパリ以下オンリーディング等も売れる。
2024/11/12(火)
S宮津へ。祖父の遺品チェック。
高山文彦の「エレクトラ」のさわりを読む。想像以上に素晴らしい。高山にも興味を持つ。これくらいの踏み込みが必要なんだ。
オレなんか何もやってない。父親の実家を調べるのにも。
ルパンの店を覗く。
ヒルゲートで糸島で図書館をやっている男性と人見さんから喋らせる。
5時30分開店すると直ぐにヒデタロウが来る。「カイさん、オレに仕事をくれない!?」というが、それだけ。オレはヒデタロウをわかっていない。ヒデタロウが〈ろくでなし〉に行ってしばらく客なし。尾崎真人が来て、京都市美の日本画学科の5人が来て、尾崎さんはしばらくブツ。ぼくは教育的?話に興味なし。
哲兄からカボス、ラーメン届く。
そして、誰もまた居なくなった頃、才谷遼さん、萌永ちゃん、遅れてナミヘイが来る。才谷遼さんはぼくがユーリーを見て感想を何も書いてないのが不満げ。萌永ちゃんと才谷遼さんと是枝映画評価を巡って意見がわれる。才谷遼は「万引き家族」を全く評価しないと言う。段ちゃん、玉ちゃんくる。そしてバックロードの3人が来てTシャツ各自1枚買う。満生さんもくる。娘のボーイフレンドは柳沢研と言う。
2024/11/13(水)
京大職員組合の佐藤大介さんからメール。
イチに3万振り込む。
恵文社、井上久に行くつもりが、家で大岡昇平の「成城だより3」を読んでいたら、14:20まで眠ってしまう。
円山公園間に合う?
心配したが、高石友也を偲ぶ会、ジャストだった。
身贔屓でなしで五郎さん登場が1番拍手を得ていた。電通の和泉さん、佐々木さんにも会う。
帰りに「花ぎをん」の前を通ったが建物ごとなくなっていた。
神戸のユズルさんを知っている鎌倉住まいの高石友也ファンも来る。
2024/11/14(木)
宮津の家の屏風を見せてもらう。素性がわからない中国人画家の名前も永瀬微霜に訊いて直ぐに判明。
ルネに呂さん関係本を買う。「歌舞伎町を作った台湾人」。
中国人、多くの外国人来店。アジア系?オランダ人の女性陣(4人)も来て、後で画像を送って来る。オズボーンさん再度来店。
八文字屋は木曜なので超暇を覚悟も、さにあらずめちゃ忙しく、しかも、まだ販売用ゼロのTシャツが欲しいというお客さんが5人もいた!
「地平」の編集長を永澄さんらが同伴。森下光泰、木戸衛一さん、伊藤Lら。
2024/11/15(金)
朝方少し雨の中帰宅。
松屋、セブンイレブン、Sと会う。S、区役所へ。
「エレクトラ」少し読む。
何も出来ず。
杉村さんは、阪急電車人身事故のために帰れず。永澄さん&女性が送る。
萌永ちゃん映画の宣伝も頑張る。
閉店は4時30分。
2024/11/16(土)
今晩の八文字屋は、19時開店。
同時に、元「カイトランド」の発行者兼編集長の能口さんが、工芸繊維大の学祭の帰りに、一銭洋食経由でくる。能口さんがTシャツを買う。
石間君来店。
アババが九大の教え子が誕生日だということで同伴。Tシャツをプレゼント。
深夜はカルフォルニアからのカップルや朝日ちゃんの友人の岸さんも。
ヒデタロウは父親を同伴。
コロナ時以来、久しぶりに12時30分に閉店。
土曜日ということもあって木屋町通には人で溢れていた。
「八の舟入」のところで石丸商店のノゾム君と連れあいから「早いですねえ」と声を掛けられる。
チャリンコで掴まりたくはないので、少しおし、公衆トイレ辺り西木屋町通でチャリに乗ると、目の前にガタイのいいポリさんが3,4人歩いていたので、イチャモンをつけられたくないのでチャリから降りて反対側の道を北上していると、ポリさんが近づいてきて「チャリのナンバーを見せろ、今まで乗っていて我々の姿を見て降りただろ。どうして降りた?」というので「腹が痛いからだ」と応えると今度は「どこまで行く?カメラを持って何をしている?」と来た。ポリさんに囲まれているところを見覚えのない男が「カイ先生!」と声を掛けて去って行った。盗難車でないと確認して離される。
鴨川を北上し「村屋」に寄ろうとしたが「13日~17日は休みます」という看板が出ていた。
百万遍知恩寺辺りで「カイさん」と友人連れの串野君から声が掛かる。
ブラジル(多分?)のホセリから写真を送って来る。
2024/11/17(日)
閉店が早いと寝起きもいい。7時まえに目を覚ます。
早くこういう時間帯に起床できる生活をしたい。
それでも、いくら眠ってもまだ眠れそう。
そんなことをしていたら何も出来ない(笑)。結局、何ほどのことも出来ず終わるのもわかっているのだけど。
坂本さん一行来店。共同をやめてサンケイのカメラに移った人たち。ドクターKも来る。
2024/11/18(月)
斎藤洋さんのアトリエに行く。牛蒡アラレを近くの花屋で買う。
この程度の寒さを乗り越えれないようでは、八文字屋もダメだ。
抜き打ち、消防点検あり。管理会社が明日、契約書持参と電話。
高山文彦の「エレクトラ」をまだ読んでいる。
ヒヤヒヤドキドキの夜から一転。客が大挙したので必死に対処する珍しい夜。
引き金のセバスチャン・レゼーはブドーの父と娘を同伴。
中国人なし、写真集・Tシャツ動かず、ポストカード1点売れただけ。
日本人は真弥さん&美弥子さんのみ。
アフリカ、アイルランド、イギリス、デンマーク、コロンビア、ニューヨーク、オーストラリアの人たち。
2024/11/19(火)
8時、八文字屋にて起床。
龍谷ミュージアムに「眷族」を見に行く。
皆、Tシャツを買ったサンフランシスコ3人組でなんとかクリア。
2024/11/20(水)
八文字屋Tシャツ在庫
白 L 5
白 M 4
白 XL 1
黒 S 3
黒 M 5
黒 L 2
黒 XL 3
黒 XXL 3
昨日の話だが、今頃になって、八文字屋の大家(管理会社経由)は「賃貸契約書を作りたい。ついては、賃貸の保証人を付けろ!」と言って来た。それが常識の世界かも知れないが、八文字屋は40年前に権利金(借金して、その分自力で返済済み)を借りてから、ビルの転売が続き、大家は変わり、4,5年前に今の大家になり(4人目だが)、改めて契約書を作りたいので「保証人を付けるか、信用保証協会には入れ!」 と。信用保証協会に入るには、協会に家賃1月分を入れ、毎年ひと月入れて更新する必要があるらしい。面倒くさいが、誰かになって貰わなければ。
バックロードの3人、伊藤桃子さん、才谷遼さん、萌永さん来る。
2024/11/21(木)
谷川俊太郎さんが亡くなっていろんな方が関わりを書いている。ぼくも少し縁を書く。
ぼくは1974年だったかな、片桐ユズルさんが谷川さんをほんやら洞に招いて2階で朗読会を開いた時、すごい人数のファンが押しかけて天井が落ちるのではないかと心配しながら一階でひたすらカップとグラス洗いしており、お顔ひとつ見ず、写真も撮らなかったのを覚えている。もちろん、ユズルさんから紹介されてもいない。
その頃一緒に住んでいたYさんが谷川さんファンで「1億光年の孤独」等の詩集を持っており、ぼくも読むには読んでいた。ほんやら洞開店の年(1972年)は片桐ユズルさんは谷川さん、田村隆一さんらとフルブライトの企画でアメリカ中南部を旅しており、京都にも神戸にも居なかったが、突然、ほんやら洞でポエトリー・リーディングの会を継続的に開催するのに、トップに谷川さんを招いた。その時の写真はアサヒグラフのカメラマン大塚努さんが撮ったと思う。
その後、1999年にぼくがほんやら洞にカムバックした際、谷川さんにハガキを出したら応答があった。大阪のチンドン通信社の林幸次郎さんらが谷川さんの息子の谷川賢作さんとセッションをすると聴いて、面白い繋がりだなぁと思っていた。1990年代から詩人の正津勉さんと親しむようになった頃、正津さんはイギリスの高校に留学した娘(中村真夕さん)が帰国するたびに、谷川さんに共に会うと「娘が、谷川俊太郎に英文学の講義をするんだ」と嬉しそう喋るのを聴いた。
そして、今世紀になって中村真夕さんが第一作「ハリヨの夏」の映画監督として配役に、高校(比叡山高校がロケ地)教師役に谷川俊太郎さんを抜擢した。この映画は出町のほんやら洞でロケをやり、ぼくも甲斐役の店主として登場。風吹ジュンさんがバイト役だった。高良健吾のデビュー作であり、柄本明も出演した。
その後中村真夕さんは順当に監督稼業を続けているのも谷川俊太郎俊太郎効果が多少あったのだろう、と思っている。
八文字屋の契約及び工事が終わらねば、胸の?腹の?つっかえものが降りない。
才谷遼と思ったが!明日帰るか。Nラインか。保証人ラインは。
「法然と極楽浄土」展にいく。
夜、UpLinkに才谷遼さん、児島宏子さんのトークに少し顔を出す。
あとで児島宏子さん来る。素晴らしい人。
2024/11/22(金)
京大の11月祭少し覗く。みかんを買う。薪割りで三百円取っていた。
夜、浅利ちゃんバイト。バイト代払う。
萌永さんのご両親来店。
まだ確定していないけど、めちゃ嬉しいニュースが 舞い込んで来た。
追って連絡がありるようだけど、エジプトでの甲斐写真展!実現しますように。祈念しておこう(笑)。
管理会社対策を一計ねる。
先ず、Nに相談してみよう。「Nさん、頼みがあります。八文字屋の今の大家と今度初めて契約するのだけど、40年間契約書を作るのに保証人てのは全くなかったけど、今の大家は保証人を付けろと言って来た。保証人になってもらえませんか?80歳まで八文字屋をやるかどうか判りませんが、この歳になって家賃滞納するようなら、店をやめます。」
日経新聞見る。
2024/11/23(土)
日経の安藝さんよりメールあり。
深田祐輔監督のTokyo Overrideを3時間見る。
デンマークから熱烈なファン来店。焦げたプリントを売れ!「金はいくらでも出すから」とグラフィックデザイナーが執拗に粘るが、売らず。「それよりもデンマークでの展示の計画をして!」と頼む。もう2ヶ月東京で仕事中なので出直すと言う。
江藤カナちゃん&伊藤耕太さん、イタリアの写真家カップル、スウェーデンのYouTubeを見てきたスウェーデンの若者、高山佳奈子先生、島津威雄先生、玉ちゃん&石原君、恵文社のワカちゃん&韓さん&東京の出版社の営業マンらが来る。高山先生「土曜日なのに、なんで、こんなに暇なの!?」と嘆く。若い外国人客に八文字屋の宣伝をしてくれる。
今朝、多分、3時に眠りに落ちた。
4時に店の扉を開けようとする音がした。
まだ、ぼくが朝まで店を開けていると思っている客がいるようだ。
2024/11/24(日)
アメリカの雑誌に今頃、出ていると言ってくれていたジンジャーさんにメールを送るが応答なし。
Sが、先月10/10の甲斐扶佐義トーク@八文字屋 10.8山﨑博昭プロジェクト講演会のための予行演習「落ちこぼれのボクと反戦運動」の記録動画をYou Tubeにアップ。少し分かりづらいところもあるので、字幕入りにしました。(概要欄には、本番の講演動画のリンクも貼っています)★リンクはこちらのページより
昨年、拙パリ展に付き合い、撮影してくれた映画監督Yuske Fukadaの数年越しの初アニメの3Dフィルム・ノアール風作品がNetflixから出て早くも評判を取っている。Tokyo Overrideという悪漢ストーリーだが、現代社会の全体主義と真っ向から少年が闘い、自由の在処を求める作品になっている。これから方々で評判になること請け合いだ。この監督は拙写真集「パリ」について作家いしいしんじさんが解説したのを連れ合いのローラさんと英訳してくれもした。
高山文彦「エレクトラ 中上健次の生涯」(文芸春秋)を数日かけてやっと読了。素晴らしい本だった。ぼくは必ずしも愛読者ではないけど、勿論、中上が好きになって、機会があれば幾つか再読することになるかも知れない。高山文彦さんは定評があるのだろうが、中上と格闘して来たのがよくわかった。
ぼくは中尾ハジメ訳のアイルランド人のジョセフ・クローニン著「大石誠之助伝」(sure)をよんでいて、高山文彦の「エレクトラ」が気になり、引き込まれてしまった。読み始めてやめられなかった。
予告ふたつをFBに書く。
「11月25日発売の「芸術新潮」(新潮社)の12月号は京都特集です。その中に「京都を撮った10人の写真家」のひとりとして竹内万里子さんが紹介してくれたようです。同じページの上の段にはデヴィッド・ボウイの写真があるそうです。
また、12月6日の日本経済新聞(関西版・夕刊)の「関西フォークとは何だったのか」という記事の中に拙インタビューが含まれています。」
令和から出て惜しくも落ちた辻恵さん来店。ちょっと彼にも愚痴る。
深夜、K-keiが来て、自転車が通れる道をさがさんとアカンなあとぼやく。
2024/11/25(月)
恵文社に行く。斎藤真理子さんのシュアの本を買う。19時に開店。
早々と畠中光亨さんが画家仲間とやってきた。畠中さんはインドに2週間に行き、その後、腎盂炎で4日間入院していたので、今日は飲めない、と。
19時に永澄さんから電話があり、「酒場の社会学」(ミネルヴァ書房)の加藤政洋さん、元毎日新聞の記者で「日中が育てた絵本編集者 唐亜明」(藤原書店)の城島徹さんとともに来店。
そこに池田来さん、ユリアさんがオランダの写真家2人を同伴。
そこに京都研修に来た「すき家」の海外展開要員が6人来る。
ウチの店のカウンター内から水漏れして、階下の店に迷惑をかけてもう2ヶ月近いかな。
その修理費用約90万円をぼくがビルの管理会社を通じて大家に支払うまで工事をしないと管理会社から言われて現在は八文字屋としてはカウンター内の水はシンク内のバケツに受け止めて、バケツの水が貯まれば一回一回トイレの便器まで運び流し込みカウンター内の配管を利用せずに、営業を続けている。3年ほど前にも同じ個所の水漏れがあり、その時は大家の費用で応急処置的に排水の逃げ場のプールをカウンター内に作った。しかし、このプールは常時踏みつけられるので、穴が開き、今回の事態になった。
だから、今回の事態に及んだ。
そして、今回は抜本的風な工事をするので、今回はその費用は店子である八文字屋が支払えという事になり、その金を大家に振り込むまで工事はしないという事で、今日に至っている。
金を振り込んだら、これまではビルは転売に継ぐ転売でビルの所有者といちいち賃貸契約をせず、それまで通りに新規大家の口座振り込んで来た。
それが、今回の工事をキッカケは契約書を交わそう。それには、保証人を付けろ、もしくは、信用保証協会に加入せよ、と言って来た。
妙だなと思いつつもこんな事で揉めたくないので、保証人を付けて、契約しようとしていた。
そこに、東京から元弁護士で元国会議員で、先日の参議院議員選挙にも出馬したが数百票差で落選した方が、見えて、これまで契約書なしでやってきたのだから契約書なしでも、保証人なしでもやって行けるはずだ、占有権があるのだからと教えてくれた。店子の権利を狭めて行くようだと、いずれ、(再開発かなんかで)追い出そうという魂胆があるのかも知れない、と。
そこで、ハタと考えた。
管理会社が二ヶ月前に「契約書を作らなければ、保健所、汚い店だとチクって追い出すぞ」と言ったのを思い出した。
今の大家になった時に、前の管理会社の男が来て「いう事をきかないならおいだすぞ」と凄んだ事があり、ちゃんと家賃を払っているのに「お前はこのビルに数百万円の借金がある」と二つの弁護士事務所から請求書がきたので、おかしいと思い、「けやき法律事務所」に相談した。
その時、その管理会社は連絡取れなくなり、今の「バリューアット」という新管理会社が登場したのだ。
この新管理会社もひと月半ほど前に「言う事を聴かねば保健所に劣悪な店だとチクって追い出してやるぞ」と言ったのだ。
売り言葉に買い言葉じゃないけど、色んなことを口走るものだ、と思っていた。
前の漏水の時は管理会社の担当者は違った。その方はそんな言葉を口走りはしなかったが、その方は今年の3月いっぱいで退社した。
色んなことがあるものだ、覚悟しておこう。
今晩の八文字屋のヒデタロウ。ギターは放浪の三味線弾き・フヤラふきのスロバキア人MKの仲間のアレックス。ヒデタロウはアイルランドの炭鉱夫の歌を「広島カープ・ファン」の京大1回生5人の前でひとりアンコールで歌う。
ロシアから日本に帰化した池田来さんからオランダNo.1の写真家を紹介された。彼は厚み10センチの「オランダ」という写真集とキノコの写真集をだしており、隣の彼と共に来年2月のドバイ展に出展するのだが、「Kaiもドバイ展、その後、アムステルダム展に参加してくれないか?招待の形での参加がまだ間に合うか、事務局に訊いてみる。来年2月が無理だったら、再来年の2月で行こう」と言ってくれる。
「Kaiには代表作と一目でわかる写真集はないのか!?アムステルダムに戻り、Kaiがイヤでなければ、10センチ甲斐写真集をアムスで出せるように働きかけてまた連絡する」と。
彼の誘いに乗るのなら、その前に1年間の猶予が必要だ。
ますます八文字屋の来年からのこと、家の中の整理を真剣に考えねば。
2024/11/26(火)
杉村さんからメール。
「甲斐さん、昨夜、呂さんから電話があり、この前話したカイロの展覧会の話、それほどうまい話ではないかもしれないとのことです。その知人(日本人)は今日本への帰国途上で、帰国したら甲斐さんに連絡するとのことですが、話の内容が気に入らなかったら然るべく対応してもらって結構だとのことです。呂さんは甲斐さんのことを気遣って私に連絡してきたようです。以上とりあえずご連絡まで。」
この1週間、情緒は荒れっぱなし。
雨。
80歳になったら彷徨いて写真を撮れないと自覚している。
今やり残しの作業も終わることはない。
そう考えると、後、2年も3年も八文字屋のカウンターに毎日立ち続けるのは、アホがやることだ。
さぁ、どうしよう。
八文字屋の大家や管理会社なんかとトラブっている場合ではない。
山香について少し書く。
「今年の大分県杵築市山香町のイベント「西明寺の変」に行きたかったが、行けずアベリア着用の甲斐Tシャツだけが参加した(笑)。
西明寺には、カタスミカイカイ芸術祭の時に一度伺い、秘められた場の雰囲気を堪能した。今回も興味深かったが、断念した。西明寺は、六郷満山系の霊場とのことでした。元寇来襲に際しても必勝を祈願祈祷祭がったと志手環著「山香町史(大正6年刊)にもあったが、御家人筋の都甲(惟親)さん、吉弘さんの一統が福岡まで防衛戦にかなり大勢が駆り出されたようだ。
その名残かどうかしらないけど、ぼくの又井金堂の家から国道に出る大神精米所のずっと北の櫨の木が2,3本あった辺りに、立石川と金気混じりの川が合流辺りを「弘安出口」と呼び(一部は弘安池からの水合流?)僕ら又井の子供が川遊びする3ヶ所の一つだったのを思いだす。あと2つはその少し南に「三百」があり、ぼく家の真西辺りに「泳ぐそば」という少し開けた淵があったのを思い出した。「三百」は、平家の落人の集落が数ヶ所点在していたが、三百の落人の墓があったとこのようだ。山香で毛井、小屋は平家の落人の子孫が多いようだ。立石川の泳ぐ場所としてはもう一つ上には馬上金山前にイゼ(堰)があり、そこに行くとそこの子供と喧嘩になるのが必定?だった。砂金を取りに来たと容疑かけられるからだ。そこの近くに世界の建築家・磯崎新の母の実家の糸永家もあった。また、いつも仕込み杖をついて山香駅から帰る「石井組」の「サンちゃん」に出くわすのだった。その辺りの事を磯崎新さんと喋りあった記憶も鮮明だ。野原の泳ぐ場所は、小野酒造の前の竜頭の沈下橋辺りのイゼ辺りだ。もう一つ、八幡森辺りもあるが、そちらのことはあまり知らない。
西明寺で思い浮かべる疑問は、1579年の日向耳川の時は西明寺はどうだったのか?大友宗麟に弾圧されていたのか、どうかも知りたい。甲尾山辺りには弁慶ばりの強い僧兵がいたらしいが、それは島津との戦いの時か宗麟との戦いか忘れた。耳川の戦いで男たちは皆殺しにあい、馬の首だけが帰ってきて、ぼくの家の前の竹藪からその馬の「馬の首が下がる」という伝説があった。山香は後家の集落(日向後家」として結構、九州全域に知られたらしい。後家さんに年金みたいなものがくばられ、後家山たちは山浦の氷川神社を拠点にした。この山香に1620年代にゴールド・ラッシュが起こり、数千人の鉱夫が家族が雪崩こむのだった。実はもっと前から金山存在はしられており、秘匿されていた。それは宇佐八幡と深い関係があったはずだ。また、山香史を勉強しなおせねば。」
松隈洋先生著書「未完の建築 前川國男論・戦後編」を恵送してくれる。
イギリスから音楽学学者とジャーナリスト(女性はマンチェスター、男性はシカゴ出身)カップルが来店。イギリスでは、三上寛、浅川マキがとても人気があるという話をする。
Nさん、尾崎真人以外は全て外国人。この4ヶ月で1番暇な八文字屋になったか!と思っていたら台湾の若者が4人やって来た。更にイタリアに5年留学していた天津の女性と北京出身で大阪在住の男性もやって来た。
台湾人が、更に中国人が来ておわる。
2024/11/27(水)
どっしり構えよう。
今日は、血圧が下がってほっとする。
横浜のよく喋る介護士が7時早々にウーロン茶を飲みに来て、2時間ひとりで喋り続ける。
この4ヶ月で1番暇な八文字屋になったか!と思っていたら台湾の若者が4人やって来た。
開店早々に草間夫妻と滋賀の絵描き(Good Art主宰)の吉田孝光さんがキエフでの松原さんという方(後で、夫妻で来店)のウクライナ写真・絵画?展示会の後に来店。
ほぼ同時に、一橋大学留学中の台湾女性3人が来店。追うようにして中国マカオのカップルが入ってくる。
更にイタリアのカップル、カンヌ付近出身のよく飲んでくれる男、ドイツ人カップル、「バック・ロード」の今年最後というカナダのイケメン、吉田寮のゲイの好男子のイギリス人、「オイルのミノル」、熊野神社付近の浅利ちゃんのバイト先のオーナー&仁王門付近でバーをやっているコハルさんたちが来てくれ、八文字屋の昔からの常連さんはゼロだった。
とても賑やかな夜になった。
2024/11/28(木)
こんなオモロい店を40年やっていてまともな文字表現でも映像表現でもできてないといのは店主は「無能の人」という他はない。
管理会社からの電話の不在通知が入っているのを見るだけで気分が悪い。
川上聡さんから「六角通の家」の内覧会の案内来る。
以下は、2019年11月27日の増山実の文章。
神戸の「ジェームス・ブルース・ランド」で行われた大塚まさじ、北京一、光玄のライブに行った。
三人とも大好きなミュージシャンだ。
ライブの合間に少し語られた、三人の出会いの話が興味深かった。
1973年、神戸の新開地にあった神戸東映劇場という映画館で浅川マキの深夜ライブが行われた。「始発まで」というタイトルで、夜十時から始発が走る朝五時までのオールナイトライブだ。
浅川マキの神戸で初めてのライブで、お客さんは超満員。映画館の一番大きな窓ガラスが割れたのを大塚まさじははっきりと覚えているという。
このとき、司会をしていたのが、一年前に漫才をやめたばかりの、北京一。そして浅川マキと同じステージに上がったのが、当時「オリジナル・ザ・ディラン」というバンドのボーカルをしていた大塚まさじ。
こうして23歳の北京一と大塚まさじは初めて出会うのである。
そのとき、ギターを弾いていたのが石田長生だった。
おそらく舞台の熱気がそうさせたのだろう。石田長生は突然、司会の北京一に、「京一、お前もなんか歌え!」と叫んだ。
京一は戸惑いながらも、「スイート・ホーム・シカゴ」を歌ったという。これが、彼がステージで初めて歌った体験だった。
このとき、光玄は18歳だった。
高校を卒業して、バイトで食いつないでいた。
音楽は好きだったが、人前で歌ったことなどなく、ましてや歌い手になるなんて夢にも思っていなかった。
彼が初めて人前で歌ったのは、その5年後である。
1978年。ボブ・ディランが初めて日本に来た年だった。
京都の「ほんやら洞」という喫茶店で、詩人の片桐ユズルが、詩の朗読会を定期的にやっていた。片桐ユズルといえば、ボブ・ディランの歌詞を日本語に訳した詩人として有名だ。
余談になるが、片桐は大塚まさじがディランの「アイ・シャル・ビー・リリースト」を日本語に訳した「男らしいってわかるかい」の訳詞を絶賛したことがあるという。
さて、光玄である。光玄は神戸の友人が片桐ユズルの詩の朗読会に出入りしていた関係で、友人から朗読の合間に一曲歌ってくれないかと頼まれた。
彼はギターケースを持って阪急三宮駅から京都に向かう。
そしてほんやら洞の客の前で歌を歌って、初めて、自分の歌で何がしかのギャラをもらったのだ。
やがて光玄は、大塚まさじ、北京一と出会う。
引き合わせたのは、阿部登という男だ。
阿部は、あの1973年の浅川マキの深夜ライブをプロデュースした男だ。
あのライブから46年後。三人でライブを行うのは、今夜が初めてだという。しかも、場所は、神戸だ。
大塚まさじ、北京一、光玄。
三人を引き合わせてくれたのは、ディランと阿部登だった。
阿部登は2010年11月28日、59歳で亡くなった。
今日は、阿部登の命日。
この文章を、阿部登に捧げます。
ありがとう、あべちゃん。
(今夜、ステージと楽屋で聞いた話をまとめました)」
昨日、開店早々に草間夫妻と滋賀の絵描き(Good Art主宰)の吉田孝光さんがキエフでの松原さんという方(後で、夫妻で来店)のウクライナ写真・絵画?展示会の後に来店。
ほぼ同時に、一橋大学留学中の台湾女性3人が来店。追うようにして中国マカオのカップルが入ってくる。
更にイタリアのカップル、カンヌ付近出身のよく飲んでくれる男、ドイツ人カップル、「バック・ロード」の今年最後というカナダのイケメン、吉田寮のゲイの好男子のイギリス人、「オイルのミノル」、熊野神社付近の浅利ちゃんのバイト先のオーナー&仁王門付近でバーをやっているコハルさんたちが来てくれ、八文字屋の昔からの常連さんはゼロだった。
本日の日経新聞関西版夕刊「関西フォークとは何だったのか」その2が掲載された。
今夕、20時前後には京都新京極のロックン広場ではデカルコマリィのブトーが見れるはず。
早く終わった。カナダからの留学生のヴィンセントや(共同の)林昌と話し込み楽しかったのに、少し疲れてお客さんが切れたところで鍵を掛け横になっていると塚口の「ナジャ」の米澤さんが近くで飲食店「無為」をだしたという方を連れて見えた。
で、カウンター内に座ったのだが、急に頭がふわっとして脂汗が出てきたので、後ろで少し横になると、回復した。あの汗は何だったのか!?
2024/11/29(金)
直山たかしさんの投稿が面白い。
「平田源吾(中津出身)が開いた温泉旅館「天狗庵」のあったところに、今は「加賀屋」が建っている。天狗庵が史跡に指定されているため、加賀屋を建てる際、石段を一度撤去した後、石の位置一つ一つを元通りに復元したそうだ、また、天狗庵入口にあった木を残すためにわざわざ設計変更をしたそうだ。」
管理会社のオッサンと会うと思うだけで気が滅入る。
世界報道写真展@旧京都新聞印刷所跡を見に行く。
昼の散歩。ギャルリー宮脇寸見。
出町桝形通にパレスチナ料理の店が今日開店した!
夜の八文字屋には台湾、中国、イタリア、フランスのひとたちでいっぱいです。
来さんがプーチンから追放されたDanilaを連れて来る。ちょっと(facebookを見ると)とてもヤバそうなジャーナリスト。ロシア時代、今の時事通信の会長に出会ったという。裏千家でお茶もやっている。
「Pain of salvation」のベーシスト来店。
プロレスラーの入場曲を作曲及び演奏をやっていたと言う客あり。
2024/11/30(土)
今朝9時からウロウロして、午後はプロレス文化研究会の例会を招き入れ、17:30まで。普段は彼らは3次会八文字屋だけど今日は18時に千中にプロレスラーと待ち合わせ。
というわけで、八文字屋は静かかな?プロ文研のメンバー?中には日向太を知っている西さんという井上章一さんと京大建築の同期の方がいた。日向太君は今どこ?と訊かれる。
プロ文研の連中、八文字屋3次会なしと言っていたのに、戻ってくる。