2024/6/1(土)
橋本治の「人工島戦記」今日も少し読む。
コレクション。人智学の高橋巌が亡くなっているのを知る。1976年頃岡林がハマっていると言っていたが。
西川浩樹さんよりメール。来店は2番目、そして最後の客として来る。
ロンドンの女性2人Instagramで来る。
フラメンコの久保田美佐来店。明日、メトロでフラメンコ「薔薇色の雨」公演で来る。ジャーマンが比叡平のコンビニでバイトりをしているとの情報を齎す。四国中央市の鈴木さん、山拓さん&アメリカ帰りの女性。大分合同の佐々木さんの記事掲載される。
佐古田ちゃん、コレクションで遭遇。
深夜、ルパン、菊池さんらくる。行儀の悪い維新の若者を連れて植田元気も。
帰り道、深夜、柊(シュウ)君らに会い、撮る。
2024/6/2(日)
終日、雨。
大分合同新聞掲載記事のコピーが佐々木稔さんより届く。
11時までグッタリ。
スウェーデンからYouTubeを見た女性2人来店。
トップ客のイバンは最後までいる。橘大生らに奢る。
イスラエルから姉妹ともう1人。来たが、イバン、彼女らとも付き合う。
Sが撮影した映像の文字を起こしを少し確認する。
バルセロナに日本文化センターを作る動きがあり、完成の暁には、甲斐写真展もという。13番路地でスペイン料理屋をやりつつイヴァンにも仕事を回しているフィデルさんが計画。
橘大学で建築を学んだという男女、イスラエルからの女性3人の客あり。
2024/6/3(月)
整理をしていたら1992年頃?の若狭の原発事故に対する抗議集会を開いているアイリーン・美緒子・スミスさんを撮った珍しくコダクローム(カラー・スライド写真)が結構出てきた。この時、僕も関東の女性就職情報誌「Salida」にこの事件とアイリーンの活動について俄か勉強をして長い記事を書きもした。
白水社の拙連載写文「京都ノスタルジアーーほんやら洞・八文字屋の人々」もあと、2回で終了する。最後の4人を誰にするかと迷っている。僕を小説「エスケイプ/アブセント」(新潮文庫)でモデル化している芥川賞作家・絲山秋子さんの良い写真を今頃探している。
今朝、誤報地震アラームが広範囲になったという。
血圧220/100。
出勤途上、寺町御池で柊(シュウ)君にまた会う。
ヒルゲートで薮田さんが撮ったDVDを貰い、7月のDMを預かる。
ヒデタロウ今日も来店。
昨日のイスラエル女性3人は、約束通り戻って来て、写真集を買って行った。ポラロイド写真をくれる。イスラエルに来て下さいよと言われる。
しかも、昨日は妹に比べ清楚な感じのコステュームだった双子の姉の方が、今日は背中丸出しで胸辺りも刺激的な装いだった。
パリ展を見たというSoraさんのお父さんがモントリオールから来店。
2024/6/4(火)
奈良に空海展を見に行く。末川協さんカップルに会う。
大仏さんも結構仔細に見る。
イギリスのカップル、「笑う鴨川 出町篇」を買い、更にもう一部を買おうとしたが、カード機器可動に時間が掛かり、出直す。
白水社原稿は草間さんとミドリ(Erin)モリタさん。
草間喆雄は京都の川島織物で出会った小林正和と共に日本のファイバーアートの先駆者。年齢国籍等を問わぬ交友関係を保つ。早大時代の編集者津野海太郎の同志の演出家の弟という縁で津野関係でほんやら洞・八文字屋に肩入する。本年の中信美術文化賞受賞は業績と同時に芸術運動の組織者としても高く評価された。写真は、受賞式の日の草間喆雄・博江夫妻。
ミドリ・モリタ
1978年のアメリカの大学での拙招待写真展はぼく自身はもとよりほんやら洞、京都御所の東北の商店街の雰囲気を変えた。当企画を遂行したのは、同大学卒業生のエリ・モリタだった。同じモリタさんがから46年ぶりの来訪を受けた。今度はカリフォルニアは、モントレーの画廊で「ほんやら洞・出町界隈」展の依頼だった。即同意。1984年アメリカ映画「ベスト・キッド」の師匠役のパット・モリタは、彼女の父。ミドリさんも水害で多大な被害にあった。それで200万コマ以上のネガ焼失したほんやら洞を思い出し企画した。
2024/6/5(水)
珍しく外国人客ゼロの八文字屋。
林昌さん、茶井さん、室蘭の神童(東大→サンケイ)、増山実さん、高橋ジュリー、佐藤理さん、米沢さん、琢ちゃん。
後ろの席では若手記者はワイ談三昧。この光景30~40年前のデジャヴ。
帰宅は4時過ぎる。
2024/6/6(木)
イタリアの量子物理学者に会う。来週末、アメリカからジョーイが来るとのこと。
ニューヨークのジンジャー・オオイから雑誌に写真5点使わせろ、とメールある。
伊部京子展@中信美術館の案内。明日から7月26日まで。
朝日の木子さんからクラークハウスで取材あり。パチャンガでウルグアイの経済学者に遭遇。犬の散歩中のマヤオさんにもあう。
超暇。瀬川さん、鹿児島の清水さん&雅子はん、「吉乃川」の営業の濱さん。端正な風貌。
誰も居なくなったと思っていたら、高松樹ちゃんが教え子たちを同伴。
2024/6/7(金)
ベルギーのソフィーからスウェーデンのYouTubeを見たとメール。
今朝、帰宅後6時30分までネガ・プリントのチェックをして超お気に入りのネガ2本とプリントも焦げ部分が破れたりしたが、10点以上老人プリントを救出。
杉村さんが、オルガのギャラリーの件を心配して来る。永澄&編集者の女性も来る。
深夜、西川さんが来る。
2024/6/8(土)
終日、才谷遼さんの宿題をやる。
ヌートリアに遭遇。
ヒデタロウ&テリー来店。
名古屋の富士子さん来店。清水さん&雅子はんも。
2024/6/9(日)
ヒデタロウ来店。
今日、6月9日は数年会ってない次男の30歳の誕生日だ。最後の写真が生まれて2,3時間後の写真。隣の取り上げてくれた産婆の生瀬さんは都はるみをも含め8000人くらい取り上げた。息子の誕生日でも自分の30歳の頃はどうだったか、ということに思いは向かう。
2024/6/10(月)
白水社の本棚の原稿校了。
広島の古本屋の藤井さんより写真集の注文ある。
今晩もヒデタロウが来てアイルランドの歌を歌い、やがて、今日、奈良の空海展を見たという上海の女性が2人来店。2日前の香港からの女性の紹介。
2024/6/11(火)
朴ちゃん、久しぶり。
パギやんからの案内状。法然院方丈にて投げ銭口演会。7月7日 17時開場。
創作浪曲 『医師・中村哲』
2024/6/12(水)
店のベンチでうつらうつら。
自分が描けるネタ。面白く書ける小説は、何度も経験した八文字屋倒産前夜のひと模様かなと思う。バラエティを持たせねば。
応援してくれる仲間の本音の出方、奔走、自分の妄想、実際にみる奇妙な夢、どれも面白い。何回も危機があった。
僕が決意を新たにする特別な夜になった。
メンツの混じり合い方が半端でない、八文字屋ならではだった。
上海からの2人の発する英語を後の席に居た伊藤徹さんが爽やかに聴き説いてくれる辺りからはじまった。
カウンターには、やがて「隠れイケメン」のDr.Kが片手に新潟の西瓜を引っ提げ「先週は、カイさんが後ろで微睡んでいた時にホンマのイケメンが来ていたな」とスマホでイケメンを示しつつ登場。余程若きイケメンが気に入りという口吻だった。K来店と間髪を入れず、ニュージーランドのアリステアさん登場。
「手塚治虫のオキナワ」の著者・本浜さんも「此処には冷凍庫ある?」と今晩は浅草の電気ブランを持参した。背後には、入ろうか、どうしようか、モジモジしている女性2人も来店。訊けば「スウェーデンから」という。YouTuberの映像で来たらしく、躊躇して出直しますと帰っていく。こんなにも乱雑な店とは想像していなかったに違いない。
カウンターには、大分県豊後大野市の「三角寛文藝記念館」館長の三浦優子さん、吉田寮(JCIL)の坂本りんたろう君、更に、渡邉琢ちゃんが来たところに、月曜社の神林豊さんが顔を出す。
これで、僕的には一気に盛り上がる。
僕は、日米加仏との状況等々を喋り、月曜社の神林さんは「兎に角、年内に『ほんやら洞の青春』を出そう。それから、来年は、外国展も良いが、国内で有無を言わせぬ立派な大個展をやろう」と言ってくれる。ひとしきり彼と喋ったあと三浦優子さんを紹介。彼、びっくり仰天する。彼も一時、三角寛本を追っかけていたという。
皆んなの輪に入れない福井市出身、京都薬科大学卒後、アメリカに長らくいたというおとなしい男性もいた。
深夜に西瓜を皆でいただき、更に遅く電気ブランを賞味。
大分合同の佐々木さんにも、動画を送る。朝日の木子さんにも画像を送る。
2024/6/13(木)
サンフランシスコのミドリさん(Erin)から本が届いたとメールが入る。
山香の小野酒造さんからパリ写真集5冊注文ある。
2024/6/14(金)
今日も田中直子展@ギャラリー・ヒルゲートに行った。
先日、田中さんの絵の根っこを見て、48年前に読んだドミニック・フェルナンデスの「木、その根まで」という本を思い出したからだ。それだけなのに、ギャラリーに向かった。フェルナンデスはパッソリーニなど同性愛関係者の研究で知られている精神分析学者。直子さんの絵とは無関係。この95歳でなくなった著述家は気になる。
お客さんの話を聴き、今見たいと思える映画が、京都、大阪でたくさん上映中と知る。
今日のお客さん。トップは段ちゃん、あとは、オーストラリアのLiSA先生の教え子のオリバー君(写真)、クラウディアさん、エロイーズさん、川島織物見学のイタリア・フランスの女性グループ、神戸大学教授塚原東吾さんらが続きました。
2024/6/15(土)
西川祐子さんが亡くなったようだ。何度も八文字屋、ほんやら洞に中村勝さんや連れあいの長夫さんと見えられ、2012年かな?パリの拙写真展にもご夫妻で見えられた。長夫さんのパリ写真の整理を手伝って!と言われた時期もあったが、長夫さんの平凡社新書上梓以降会うことがないままになりました。
野口武彦さんも、多くの積読本が未だ部屋の片隅にある。
去年は京大病院に入院中だった。
2024年4月19日のギャラリーでの「ヒルゲート夜話市民講座」で1時間30分「路上の思考」と題して喋ったのをヒルゲートの依頼で薮田正弘監督が動画記録を残してくれました。限定公開ですので、ご覧になりたい方は甲斐までご連絡下さい。
例によって、しどろもどろで恥ずかしいが、この恥を抱えて行くしかないかと腹を括るとfacebookに書く。
今月か来月、京都北山の原生林の森・芦生に行こうと田中直子さん、森下光泰さんと先月から相談している。
直子さんのヒルゲート展3度目。
今日の出勤路。元八文字屋バイトの田村智子です!と声を掛けて来る女性あり。
今、三橋曜の名でエロ小説を書いています。Amazonからもエロ小説出ているんですよという。八文字屋の向かいのホテルの庭ではイベント開催中。雲行きはやや怪しくなったが。
6:20に来店客を断ったが、昨日約束していたリサの教え子だったかも。ぼんやりして失敗。8:30ミソンの精華の友達の留学生の男性がヨガ教室仲間たちを同伴。そのあと深夜、西川さんと薩摩治郎八、永井荷風、成島柳北、中江兆民について喋り、藤山直美・前川清のショー観劇について聴き、アンリ・カルティエ・ブレッソンやパリの他のギャルリー展の可能性について喋り会う。
2024/6/16(日)
眠れない夜、朝か。
午後、雨との予報。
小野酒造に注文のパリ写真集5部送る。
ギリギリ雨に打たれず八文字屋へ。
芦生行きの件で森下さんと浅利ちゃんを取り違えてメッセンジャーを送っていた。
夜、森下光泰さん、八幡の寺田さん、立命の学生一緒。
外国人4人、東京の森田さん。
2024/6/17(月)
やっと、月曜社の年譜に手をつけ、パリに督促状を送る。
アンリ・カルティエ・ブレッソン財団の件も打診。
鴨川でヌートリア撮影者多し。
「Siacca Akikoさん」「Siacca Akikoさん」と連呼しながら入って来る僕と同年輩風の2人(連呼はひとり)が登場。訊けば、連呼の彼は日本画の竹内浩一さんの教え子らしく、行近さんの展示を見に銀座Siaccaに行ったらしく、Siaccaさんの縁で来店した彼は輪島で先の地震に罹災したという。Siaccaさんの縁とは嬉しい話だった。
八文字屋は、吉永周平記者とデュケンヌさんが元勤務した研究所勤務の女性だけ。女性は、在日韓国人・朝鮮人の3・4世の聞書きを若い人たちとやっている女性が来店。その2人だけ。氷は、4袋用意したが、全く要らなかった。
大雨到来前に帰宅してゆっくり寝る。
姪のミニちゃんは、僕に金があると勘違いしている(笑)。
金井英恵ちゃんに薦められ(貸し与えられ)て島田雅彦の「散歩哲学」(ハヤカワ新書)をよんだ。効用は、親指とアキレス腱、大腿骨の意識だった。
こんなことを言うと英恵ちゃんから叱られるかな。
2024/6/18(火)
山香の小野酒造さんからパリ写真集5冊分の料金振込ある。朝からずっと雨。
講談社現代新書創刊60周年の「新書へのとびら」には、石牟礼道子の「苦海浄土」の原稿は、最初は、上野英信が岩波に持ち込んだが、断られて講談社になったエピソードが紹介されている。
今日は、ギャラリーヒルゲートのオープニングパーティを撮影に来た薮田さん、拙写真を仕入に来た尾道の古本屋さんとその友人たちが来てくれた。
2024/6/19(水)
昨日の杵築市山香竜頭の小野憲二さんの拙写真集「パリちょっと見ただけ」購入に続いて、今日はやはり山香町上村の西福寺の小岳和久さんが毛井さん経由で買ってくれる。
学さん、久しぶり。
不明外国人5人、ヴィラ九条山の2人来店。
琢ちゃんが浅利ちゃんの傑作写真を撮ったと言う。
遅く、オイルのスタッフ(ミノル君も含め)3人来て、浅利ちゃんがご馳走する。
短篇だけど、一気に読む時間がなかった瀬戸内晴美「ゆきてかえらぬ」(5篇からなる短篇集の表題作)やっと読了。何ヶ所か読み直したいが、兎に角、徳島の晩年の薩摩治郎八と連れあいに注ぐ瀬戸内の筆致も良い。
2024/6/20(木)
ビルの管理会社から6月28日午後5時にエアコンの点検に来ると電話。
36年前に走り読みした「アラブが見たアラビアのロレンス」(Libro)を再読開始。
白石かずこさんが6月14日に亡くなった。
白石さんを撮影した写真の整理はまだまだ時間がかかる。
疲れて午後ずっと眠る。
野見山曉治のビデオを少し見る。
やはり豊かな家の子だった。福岡の炭鉱王だ。彼の最後の?「アトリエ日記」買う。藤田貴久さんか韓国領事の趙倫ホさん同伴。8月5日には帰国という。彼のイギリス留学時代の話と藤田貴久さんの息子と娘のイギリス留学での経験を聴く。趙領事「パリちょっと見ただけ」を買う。
木須井さん来店。明日も来る、と。
スイス人4人。
雨が降り始める前に滑り込みで帰宅。
2024/6/21(金)
朝から強い雨。
今日は少し掃除をしなければ。
電子本をつくろうとしたら、アメリカのアマゾンから、被写体の許可を取っているのか?被写体の生年月日を記してみろ!等のクレームが来たので、以下の文章を認めて送付したら、2時間後にOKがでた。
僕と写真の被写体(モデル)の信頼関係について
僕は1972年から今日までこの写真集に登場する近隣住民まで50年以上の間、200万コマ以上撮影して来た。当地で信頼関係を築きつつ、40冊もの写真を出版した。1992年から2002年まで京都新聞紙上でほぼ毎週フォト&エッセイを好評裡に連載した。
そもそもが、この地域の人々を撮影した写真集「京都・出町」(1977年刊行)をすると同時にアメリカのワシントン州立エバーグリーン大学のライブラリーギャラリーに招待されて“Livings beside the Kyoto Palace “というタイトルで3週間展示会を開いた。
これが日本で、特に京都で評判になり、近隣住民がエバーグリーン大で展示した写真を見たいというので鴨川沿いの花屋さんの塀にそれらの写真を張り出し「出町界隈あなたも写っていませんか?/写っている方は最終日にタダであげます」展を開催した。それを5年間で20回開催して、私蔵のキャビネ・サイズのプリント18000点全てを写真展や写真集に登場する本人及び隣人に上げてしまった。それでも、足りないと言わんばっかりに地元の「京極小学校創立110周年タイムカプセル」に500点寄付してくれと言われ、更にプリントして寄贈した。それがもとで地域の大イベント「出町ふれあい広場」を提唱させられ、そのイベントの事務局長を務めた。
その後、1990年代から写真家として活躍。
2001年9月には、コネチカット州のウェズリアン大学にも招待され、大個展、更に、ボストン子どもミュージアム(アメリカで2番目に古い)で2年間以上無償で展示会を開催した。その後、ベルリン、ジュネーブ、パリ、エキサンプロバンス、ライデンで展示会を開いた。
ところが、2015年1月に僕の写真類全てが収蔵されているカフェが放火で焼失。200万コマ以上のネガ、写真プリント、写真集類のほとんどを失った。
この火事のニュースは、CNNニュースで大きく取り上げられた。
年々、僕の写真の評価が高まり、焼失した写真の一部でも再現出来ないか!?という多くの要望に応えて、できるところから、少しずつ復元しょうと考え、この度、皆さんが欲しがっている「笑う鴨川 出町篇」を電子本にした。
このような僕の被写体の指示を得ての活動が、評価されて2022年には、僕は京都府文化賞文化功労賞を受賞した。
朝日の木子さんに電子本情報を送る。
浅利ちゃんバイト。
藤田貴久さんはKBSでバイトをしている立命館3回生、岡やんは同志社の教え子2人同伴。カナダ人4にん、ドクターKは新潟の桜桃持参。江坂さん、高橋さん、不明外国人5人。
八文字屋に泊まって行く。
2024/6/22(土)
ダラダラと昼までいる。
広島の栗原康一さんに写真集を送る。
「ちくま」「新潮」「熱風」等のPR誌を読むだけでもスイスイと行かず。「熱風」の窪島誠一郎インタビューを読む。
2024/6/23(日)
S高槻から帰って来る。パチャンガに行く。雨の日曜日。
玉ちゃん来店。
京都の水俣病を告発する会にいた谷口文利さんが亡くなったと玉ちゃんから聴く。田中の玉ちゃんの古本屋「ミモザ書店」の隣にいる印刷屋で、40年前頃の数年間よく会った。いつも手はインクで汚れていた。八文字屋開店時には日本酒のことをぼくは何も知らないので、よく教えてくれた。その頃、京都で「噂の真相」のようなメディアを作りたいと言っていた。その後会わず2,3年前にfacebookで繋がったばかりだった。ぼくとほぼ同年齢だったはず。冥福を祈ります。
この頃は、日米韓辺りの若者の共通言語は、アニメ、映画なのがわかる遣り取りを目の当たりにした。日本の客3人とアメリカの若者が両国相互の印象、共通話題を探っていて、ガザやアメリカの政治に対する考えを聞こうかと言っている内に好きな映画やアニメについて訊ねている間に、政治的話題が雲散霧消していた。
アリステア来店。
2024/6/24(月)
写真集「70年代ほんやら洞」について
「ほんやら洞」というのは新潟県小千谷市辺りの小正月に作る雪のかまくらのことだ。それに想を得た漫画家つげ義春が1968年に漫画誌『ガロ』に「ほんやら洞のべんさん」を発表して人気を博した。漫画から離れて推測するに「ベンさん」は地方に住む韓国名「卞さん」だろう。つげの意識下にあったのだ
ぼくたち、京都の喫茶店「ほんやら洞」は、メンバーの多くがつげ義春漫画世界のファンであり、つげ人気にあやかろうと命名した。
「70年代ほんやら洞」は仲良し集団だった。メンバーは、皆、60年代後半のアメリカのベトナム戦争に反対する気持ちを持ち何らかの形でその市民運動に関わっていた。
70年代の「ほんやら洞」の活動やあり方を振り返ってみると、その活動の核は、草創期のメンバーの親の世代の遺産の上にあるのがわかる。フォークソングのライブ然り、ポエトリー・リーディング然り。初発時と70年代半ばまで様々な点で中心に居た中尾ハジメ(片桐充)は親と兄と兄の恩師の息子(室謙二)との対話を通じて成長した。
しかし、現実の1972年5月に開店した「ほんやら洞」は、必ずしも彼らの思惑を取り入れたとはいいがたい。だが、彼らもやりたいことをやった。
上記は、「70年代ほんやら洞」のまえがきとして書き込もうとして、長くなり過ぎてやめた文の出だし。
「熱風」(2024・6)に転載されていた池澤夏樹のエッセイ「辺野古に座る」(『沖縄タイムス』2024年4月24日)。僕は2015年7月に辺野古に座りに行くために那覇を訪れた時に人喰いバクテリアに侵されダウンしたのを思い出す。
2024/6/25(火)
今朝の帰路。そこそこ増水している鴨川に男2人が男ひとりを放り込むシーンを目撃した。放り込まれた男は川の中で立っているようで、放り込んだ男ふたりもまだその場から立ち去ってないので、まあ、大丈夫かと、その場を離れる。犯罪の臭いもしたが。
鶴見俊輔、ジュリーの誕生日。
以下、段ちゃんからの質問への返答。
知り合いの83,4歳の元三重大の先生。去年、岩倉の朝鮮人集落探訪のハイキングで初めて会った温厚なひとり暮らしの老人でその後僕のトークショーに来てくれたり、コロタイプ写真を買ってくれたり、ちょくちょく飲みにもくる社会意識(運動)にも鋭敏な方。京大医学部出身だけど臨床でなく、基礎医学を担当していたらしい。この2人のミュージシャンを自宅に呼ぶのは2回目らしい。私利私欲に乏しい信頼出来る方ですね。ろくでなしでも何処にでも関心を持ちそう若者が出入する店には自分で一杯飲みながらフライヤーを置いて回っています。
昨日、偶然、福岡から「こなから」のミナちゃんの知人の李さんが初来店したのだけど、李さんは、八文字屋に来る前にフライヤーの金秀一さんと飲んでいたと言っており、偶然性に驚いたところです。しかも、韓国の伝統的な織物の展示会を李さんの奥さんが、今日6月25日から室町通三条下ルの誉田屋源兵衛(素晴らしい町屋ギャラリー)でやることも知りました。
なっちゃんのご両親、黒田さかえさんと嵯峨美の同級生の京北町の宇納さん来店。新道さん、小林正和サン&なおみさんと稲刈りしていたと言う。コルタサルの「石蹴り遊び」のハングル語訳の崔さん、メキシコ文学の研究者の藤井さん来店。
客は5人のみ。
ただ色々、考えさせてくれる5人だった。
2024/6/26(水)
広瀬純さんが、ポルトガルとパリの友人同伴。
小川さん、ニューヨークからの客、デンマークからの客、茶井さん、米沢さんも。
僕は若い時にほとんど旅してなかったので、身体も店もガタが来た今頃旅への誘いが増えた。多分3,4年後には旅に出れない。南米文学研究者の話を聴いていて、年内には店のカウンターの機器を一新して店を他人任せにして脱出の態勢を作らないと後がない。写真集、プリントを売り出ていくしかない。ヒルゲート展のプリントもその為にも売らなくっちゃ。昨夜僕の代わりに崔さんが入るよ、と言ってくれた。
2024/6/27(木)
エアコン修理時間に遅刻する。今日は、エアコンの点検日で、5時には出勤出来ず、明日になる。
去年はひと月ほど故障したままだった。
今年は上手く行きますように!
岸本佐知子「わからない」を読む。自分が如何に小中高の学校の教科書にも頓着無かった等、教えられることのみ多し。岸本さんは坪内祐三の小学校の1年下らしい。
マリィ&田中さん、アリステア来店。
今月2度目の便秘なようだ。参ったな。
2024/6/28(金)
小降りの隙に帰途につく。
帰宅5分前に大粒の雨に襲われる。
行者橋の華頂幼稚園園児の写真をInstagramにアップ。
クーラーの定期検診契約しろと言われる。
ヒルゲートは寄るだけ。
浅利ちゃんバイト。
菊池さん、鈴木さん、江坂さん、尾田さん、モノシャカグループ来店。
外国人客多し。
ルーター充電不調で天気予報読めず、夜中に帰りそびれる。
2024/6/29(土)
4歳まで歩けも喋れもしなかった僕はチャボ、うずら、犬の入った小屋に放り込まれ、犬の尻尾を引っ張り噛みつかれた記憶がある。リリィという三毛猫もいたが猫と遊んだ記憶はない。
父は労働組合の仲間と飲み交わす日々を送り、母は腎臓病で入退院を繰り返し、僕の世話は姉や叔母たちに任された。
動けるようになっても姉、兄たちが通った保育園や幼稚園には通わず、代わりに山羊や鶏とたわむれた末に彼らに餌をやる仕事を仰つかわった。小学校に上がる前に山羊の乳搾りから山羊乳配達が僕の仕事だった。
母は僕に言った。「将来は、土壁踏み(左官屋の手伝い)に成れれば良い」と。僕が動けるようになると、父が社宅の一部を鶏舎にした。鶏の水と餌やりが僕の日課だ。父が筵を織り、その筵に天気の良い日には鶏糞を盛り日干しした。その出し入れの仕事に加え、畑仕事をする母を手伝い、登校前に4Hクラブまでチャリで野菜を運ぶ日々だった。登下校時には両手にいつもバケツがぶら下がっていた。そのせいだけでなく、背中には小学校入学時のランドセルを背負っていた。鶏の数が増えると、これを狙うイタチ、テン、フクロウ、野良猫といった野獣が増えた。対策に虎バサミを仕掛けたり、空気銃で僕は応戦した。捕まえた害獣を飼料袋に入れて立石川まで捨て行ったものだ。銃を弄ぶ僕に危ないモノを感じた姉が、空気銃を取り上げ、僕にカメラをくれたのが、僕とカメラの出会いだった。
1960年のことだ。
猫写真集作りの三つの契機
1:喫茶店「ほんやら洞」の2階に住んでいたのだが、猫好きのお客さんが捨て猫を拾って来て、置いて帰るので、餌をやり、猫には悪いが「招き猫」にした。
2 :八文字屋の失恋を繰り返す男客を慰めるために「日替わり誕生日順美女写真集」を作るのに美女を撮影に誘う時に猫をダシに「猫のいるところにでも行きませんか?」と言った。その副産物が猫写真だった。
3:子どもが生まれての子連れ散歩コースとして選んだのが「猫ちゃんランド」「猫の道」「先斗町猫公園(猫のいずみ)だった。
この三つが、猫写真家?への道だった。
田中直子さん、森下光泰さんからメール。
長靴、レインコートをネットで買う。
京大病院から6月30日の件で電話。
便秘ますます酷い。
兄への電話不通解消。何故不通だったか知らされず。
小降りの隙に帰途につく。
帰宅5分前に大粒の雨に襲われる。
出勤路で勝野君とすれ違う。彼、村屋行く途中。後でくる。
フランス人の来客は、パリ展で会った方の連れあいで、東京在住のイベント企画者が恵文社で「パリちょっと見ただけ」を買い、2人の若いベルギー人同伴。
今日は12時にお客さんが途切れて、便秘で苦しんでいるので、12時で閉店しました。
表に来客があったのがわかったが、もう閉めたままにします。
明日は、午後から絶食して明後日の朝からの京大病院での検査のために備えます。
今は閉めたままもう少し、八文字屋に居て苦しみに耐えます(笑)。
2024/6/30(日)
今晩の八文字屋は19時開店。閉店は申し訳ないのですが、12時にさせていただきます。明朝8時30分から京大病院検査診察のため。
明日は平常通り、20時開店です。
今日(6月30日)もアリステアさん、勝野君の両人来店。
明日(7月1日)は勝野君の論文がネイチャーに出た件?違う件かも知れないが、優秀なので、京大で明日表彰される。これに関しては賞金を何に使うかスピーチに盛り込むことが要求されているらしく、勝野君は社会貢献したいと言うらしいが、さて、何の社会貢献なんでしょう?明日聴くのが楽しみだ。
それに25年ぶりのインドネシアでガムラン奏者をしている元カルフォルニアの男性も来る。
今晩の八文字屋の最後のお客さん。ジュリー&友達、ニューヨークからのカップル、ジュリーの友達と散々喋って帰る段になって「サンドラからの紹介」と告げるジュネーブからのカップル(パチンコ・バーの跡地に住む)。
今日の帰路。二条大橋の下の暗がりから2度ほど「カイさーん、カイさーん」と呼び止められたので、暗がりを見るとキレイな少女たちがいた。暗がりから出て来たのは、ひとりはルー(カルドネル)ちゃんの友達のすみれちゃんだった。
6月の結びが美女に呼び止められた、と書くためにも、20年続いていたのに、去年の8月からストップしていた「カイ日乗」を6月から復活させる気になった。