2025/1/1(水)
大晦日から飲めない中国人留学生が飲み続けぶっ倒れるまで飲むのを何処かで止めるべきだったか?付き添い女性まで路上で大の字になる始末。NHKの森下光泰が救急車で搬送されるまで見守ってくれる。
2021年の元旦の客はエリオしか居なかったとわかる。ヨリッセンさんしか居なかったときもあった。
元旦の八文字屋は「山崎ありますか?」というタイ人のファッションモデル同伴の15歳から東京に住んでいる中国人アパレル企業従事の女性と連れ(共に32歳)を同伴した「ろくでなし」客のハンサム男だけ。
自分は酒抜き。
元旦にして20~30年を振り返って思う。今の自分はラッキー、ついているの一語に尽きる。
相当ひどい人生でも75歳まで生き延びている。これまでは紆余曲折どころではなかった。
朝の散歩はゆっくり。
昨夜、食べそびれた年越し蕎麦を食べ、50年ほどまえと40年前に読み気に入っていたファン・ルルフォーの小説「ペドロ・パラモ」の映画を目をこすりこすり見る。もう一度、映画を見直したいし、小説も再読しよう。
2025/1/2(木)
早起きしてのんびりする。
今月の16日は、ほんやら洞を焼失して10年になる。直後のせん妄状態で彷徨いていて転けて傷口をいじっていて人喰いバクテリアに侵され入院した年でもあった。
「ほんやら洞の青春」を書くと月曜社に約束して25年になる。この1月には、いつ出ると言えるはず。 出版予定を確言できるはずの月末には、焼失記念の飲み会を八文字屋でやるつもりだが、それだけで参加者はいるか?
京都府から「京都府文化功労賞」パーティの案内あり。86歳の報道写真家の石川文洋さんからの年賀状。現役で頑張っている。ぼくも頑張らなくっちゃ。自分のことをやるべきか。来賓なんて言われている場合ではない。
書初め撮影の天神さん行きは状況を想像してやめる。
八文字屋、今日も暇だったらどうしよう!?と思いつつ開店。
今日のトップのお客さんはフランスから。
フランス女性はベルリン住まいの葡萄栽培農家の娘で韓国人とカップル。中国人パワーもあり、営業は遅くなったが、なんとか帳尻が合う。
朝、4時半まで八文字屋は営業。外では、ここだ!というふうな中国人らしき人の声が聴こえていた。
近藤和見の弟の漫画家の晃久と再会と喜ぶ。田中直子さん撮影。作り物みたいな写真。ベルリン住まいの葡萄栽培農家出身のパリジェンヌと韓国人カップル来店。工藤丈輝の弟分の長身のフランス舞踏家の知人。深夜の台湾美女と広告代理店男&映画監督志望青年の嬉しい出会い。店が混沌として来たところで3時閉店。
2025/1/3(金)
書初め。「俤や姨ひとり泣く月の夜」Sは「張公喫酒李公酔」
八文字屋は早い時間にフランス人が占め、少ししたら中国人、台湾人が少しとフランス人カップル。日本人は向山君、小川弁護士、ドクターK。便利堂の小川萌永さんは顔を出すも東京からの友人がタバコの煙がダメらしく帰る。
バイトは浅利ちゃん。今日は正月なので浅利ちゃんにはお客さんが引いた1:15には上がって貰った。
するとアラブ首長国連邦のアブダビから京都先端科学大学の留学生のバリッド(アラビア語で不滅という意味)というお客さんが木屋町を歩いていたら、面白そうな店があると思い上がって来たという。将来的には京都で大学院に行きたいという。写真集などを見ていて「ほんやら洞と歩く・京都行きあたりばったり」が気に入り買いたいという。お爺さんは元々パレスチナにいたが、イスラエルからの攻撃が激しくてヨルダンに逃げ出した。その地で彼の父親は生まれた。アラブ首長国連邦の人口は6~7億人だと言う。来週、別府のビーコンプラザ(Bconplaza)でロボットの学会があり3日間行くという。中山香の二宮さんたちのことを喋る時大変関心を持った。今回はハードスケジュールみたいなので、また行ってくれ!だけ言う。帰りに、更に写真集「KIDS」「狸橋の子どもたち」も買ってくれた。
2025/1/4(土)
8時30分起床。
早朝、5時40分くらいに先斗町と木屋町の間で火事。
水俣展で頑張った熊本バンドの末裔の絵描きの松尾琢也さんと友人。正月の4日目だけど、八文字屋開店40年で最低の土曜日の夜になりそう。
今のところ、水俣の運動をやっているこの2人だけのお客さんだったが、今は誰も居ない。石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を熱唱する松尾さん。松尾さんはパレスチナの旗を忘れて取り戻ってくる。
便利堂の2人に上海からの若者(カウンター)と後ろには伊藤耕太さんの双子の弟とその仲間。前日は耕太さんが居た。
布野修司さんのポストで建築家・原広司さんが亡くなったのを知る。京都精華大の鈴木隆之さんが原さんと八文字屋に同行したことがあった。その時のパネルが大分の都町のバー「ポケット」にあるのをみて去年亡くなった大分大学の鈴木教授が八文字屋に来るようになった。
2025/1/5(日)
今日のトップのお客さんは、パリ経由の韓国の若者。
今日の日本人の客はサックス奏者で氷屋のK-keiだけ。
あとは韓国人、中国人、オーストラリア人、カナダ人、ニューヨーカーだけだった。
ニューヨークの息子は7、8月頃に転勤かもという。
2025/1/6(月)
ダウンし民医連に行く。軽い脳梗塞になったようで、一応、夕方ふらつき歩きながら民医連あすかいに行く。
血液検査、CTスキャンの画像を見せて貰う。血管2本が少し狭まっており、軽い脳梗塞の兆候、と。血圧が230(高)が続いた後のダウン。ちょっとショック。里の前のスガ薬局でクスリを貰う。
9時30分開店、池田来さんが同伴の2人、イギリスとニューヨークに住むロシア人用に「ツーショット」「遠い視線」を買いプレゼント。その内のひとりの息子さんは20歳だが、既に100ヶ国を旅している、という。
玉ちゃん、あがた森魚の本を書いた男がくる。日本人の客は後、サックス奏者で氷屋のK-keiだけ。玉ちゃんには2時に帰ってもらう。
2025/1/7(火)
8時前には目をさます。まだしゃっくりあり。
なんともいえない。明日また検診があり、1月10日には癌の精密検査が予定されおり、その後に気分?報告します(笑)。当面店を休むわけにはいかず、15日~16日と改装で少し力仕事もする予定。
朝、松尾琢也さんに松屋の手前で会う。20年ぶりに谷川健一の「四天王寺の鷹」再読しているが、宇佐八幡の力の源泉を考えるヒントにもなる。
今日の出勤路、河合橋の上で武市常雄さんに会う。一瞬、双方、誰だかわからず戸惑うが、そこは往年の悪仲間、会えたのが嬉しく堪らない。ちょっと喫茶店にでも入ればいいものを19:00にビルの管理会社との約束があり、誘えなかったのが残念。
今日は当代の日米No.1のテキスタイルアーチスト草間喆雄さんの79歳の誕生日。夫妻以外はドイツの救急車のドライバー2人とミラノからのカップル。それに鹿さん。
今日は独・伊・米・中からのお客さんプラス5人の日本人で終わりかな?と思っていると、パリと日本を股にかけて活躍する狂言師・小笠原弘晃さんが多忙の中、年賀と病中?見舞いに来てくれた。
2025/1/8(水)
脳梗塞の件、書くと200人以上のFBFが心配する。
今日の民医連のあすかい病院の診断の結果、脳梗塞ではなかった。未遂というか、未然というか、動脈が細くなっている箇所がある。それの治療のために投薬が必要との事。取り敢えず、ひと安心。当分、血液をさらさらにするクスリ投与。副作用もありそうだが、まあ、良い。明後日は、京大病院で直腸癌のその後を知るためのMR?検査。
その後も何に襲われるか??
脳梗塞でないとわかってなんか急に元気になってジョン・リードの「反乱するメキシコ」を再読開始。再読のつもりが、これまた、50年前は何も理解してなかったのがわかる(笑)。
今晩の八文字屋には浅利ちゃん。
八文字屋のジュリーこと元NHKのTさんも来てくれそう。
出勤路。19:40に開店しました。ホテルへの行列はすごい!
今日が姉の命日。息子さん、娘さんたちの食事会に残念だが出れない。姉が書き残したメモの整理も1年たっても全く進んでなく、皆に会わせる顔がない。
冨樫が深夜来て、酒をのまず、2時間べらべらしゃべり捲る。浅利ちゃんが相手をするのを早くやめてほしいが、やめない。
江坂さんがレコードプレーヤーのベルトを交換しに来てくれたが、その問題ではなかった。
昼はほんやら洞のキャビネ写真1000点から300点に絞った。更に100点に絞って書下し「ほんやら洞の青春(仮題)」(月曜社)に使用する予定。5月30日のほんやら洞53年記念の出版に間に合うかな?
4月の八文字屋開店40周年記念に何か出版できるか?時期がずれてもいいや。
2025/1/9(木)
死を自覚しているわけでは全くないが、また、Facebookに書くことではないが、この20年、30年、40年、50年は全くめちゃくちゃな自分だったと言うことを暇な時に書いておかねば。懺悔録を残そうと言うわけではないが、それなりに、楽しかったし、よくやったと思っているが、その記憶がある間に書き残そうと思う。これから出す「ほんやら洞の青春」(月曜社)とは全く別の書き方をしなくっちゃ、とついさっき思いたった。どこかにメモしよう。やっぱり、手書きの方がいいかな。
貧乏エビスの宵山です、今日は。
共同のRさん、温ちゃんの同僚がパーマ屋さん同伴、スウェーデンの若者4人組、中国の杭州の女性が別々に来て、ここで合流。そこに日文研の磯田道史さんパナソニックの男性がパナソニックのトップと飲んだあと来て合流。磯田さんが松井市長に外国人への宿泊税を提案したと言っていた。
2025/1/10(金)
床に落ちていた小林一茶集(昭和28年9月30日刊・朝日新聞社)を拾い上げると、一茶の初雪を読んだ面白い句がいくつも出て来た。
杵築市山香町の知人の雪の投稿をみたあとだった。66~67年前の山香の大雪を思い出した。駕籠かきてケツを出すのが礼儀だったんだって。
気がつけば、京都も雪。
先斗町を歩きながら60年近い前の歌、松の木小唄を思い出していた(笑)。
帰路。忘れ物をして京大病院へに行く前にモノ探し。
今日の午前中に京大病院に行き、1年半前の直腸癌除去手術後の全身CT検査をします。結果は7日後に判明。病院は造影剤を入れて全身CT検査と血液検査だけ。1月17日に癌に関してはわかることはわかる。
今日の出勤路。
あがた森魚さんから何度もメール。
今日のバイトは浅利ちゃんです。
20時過ぎにどどっと9人の客がやって来た。
一瞬のあがた森魚ライブ@八文字屋。近い内にあがた森魚ライブ@八文字屋が実現するでしょう。
田中さんの投稿。「大阪baibaiの御馳からの 八はあがたさんのサルビアの花でした。(握手できた) 皆世界遺産だわ!」
2025/1/11(土)
ギャラリーヒルゲート展には、甲斐写真も出ています。三条河原で日向ぼっこをする少女写真です。
うっかり八文字屋の扉の施錠を忘れて寝ていると深夜3時45分に来客あり。もちろんお断りした。
2025/1/12(日)
大津定美さんが亡くなったか。1、2度、人文書院の落合さんと来八されただけですが、ご冥福をお祈りします。
もう数日後がほんやら洞(1972年春創立)全焼から10年になる。
喪失したものは、個人的にもとてつもなく多い。が、皆さんのおかけでその直後に人喰いバクテリアの追い討ちにあい辛かったが個人的には立ち直った。店のアーカイブ作りも考えているが、ぼく個人で考えていたにも関わらずやることは、全般的にボヤけてしまった。
その辺のとこを含め、一昨日、パーカショニストの田中康之さんから「カイさん、あと何年も生きるつもりかしらないけど、ほんやら洞は兎も角、八文字屋はどっちを向かう?」と問いただされ、店の壁面展示も休止になっている現状のチャランポランのところを説諭された。
来週、カウンター内の床の工事が終わってしばらくしてから、確定申告前くらいに八文字屋40周年記念イベント計画、書下ろし「ほんやら洞の青春」(月曜社)の出版日程そしてその後の計画報告を兼ねた飲み会を予定している。それが田中康之さんへの返答になれば良いと思っている。
今日の午後は、ギャラリーヒルゲートに1月13日からの「折々の作家たち」展用の出展作を持参予定。
由布市での明美姉の1周忌法要後に、哲義兄のアトリエ「バビロン」に集まる明美の長男・裕太郎、真由美姉、真由美の義娘の写真落掌。
午後の散歩で出町ふたばの豆餅欲しさに行列が河原町通(ふたば)からタネ源を越えて賀茂川までなんなんとする異様な光景を見る。
亡くなった朝野由彦さんには、八文字屋で歌って戴く機会がないかと思っていたが、遂にその機会がなくなった。高山富士子さんと風媒社の企画による甲斐写真展@名古屋でのオープニング・ライブきりになった。朝野さんは1973年のほんやら洞にも何度か来店していた。一昨日来店したあがた森魚さんも12月30日まで一緒に歌っていたんだ!と残念がった。
本日の八文字屋は19:30に開店。
明日、明後日の客席は工事のために半分は潰れる。
開店と同時にいきなり個人個人の中国人が8人、ヨーロッパの青年も2人来店。なかには台湾の青年ひとりいるらしい。
中国の若者が八文字屋のカウンターで羽根を伸ばしています。
坂本先生撮影@八文字屋。北川啓さん。産経の坂本慎平さん。山上有紀さん。初めて来店の前原淑子さん。御一行様でした。
2025/1/13(月)
Maya Maxxさんが亡くなったって!? 63歳。
昼はデカルコマリィさん、段原克彦さん、河合敦子の後輩の赤塚さんに手伝ってもらった。
ギャラリーヒルゲートの「折々の作家たち」展には素晴らしい作家たちの大変な作品に混じって怪爺は「日向ぼっこ」作品を出展しています。写っているのは1997年の高校生。
玉ちゃんが最後だと思っていたら、忘れたかも知れないカメラのレンズキャップを探しの出戻りに玉ちゃんが手伝っている間に、丹波さんの知人がちょっと1杯だけ飲ませてと入ってくる。
2025/1/14(火)
李恢成さんが亡くなられましたか。梁民基さんと共に季刊誌「民濤」創刊前後、2~3度八文字屋にも見え、知人の在日韓国人の若き作家の原稿を読んで戴いたり、女優・金久美子さんとのツーショットを撮らせて貰ったりしました。冥福を祈ります。
ギャラリーヒルゲート3日目。昨日に引き続き行き。入りが悪い、と。
ポップアップLive、材野先生に連れられて以来30数年ぶりの元京都工芸繊維大生、中国からの観光客も加わり、第二部が始まりました。偉大なミュージシャンMKが今年初めて八文字屋ライブをやるというのに、ギャラリーが少な過ぎる!!(笑)。MKライブ。
最後はパリとニューヨークの若い写真家2組と九州の京都工藝繊維大学出身の建築家の満生さん(大分県中津市出身)で、満生さんは写真集を見やすいように整理してくれた。
2025/1/15(水)
今日もトップのお客さんは中国の女性です。
昨夜のスロバキアから来たエスノ・パンクの津軽三味線奏者MKとバルセロナからの友人のちょっと格好いい写真をもう一度少しアップ(笑)。
9時に業者来る。
今日は萌永ちゃんと喋るチャンスがなかったドクターKが帰って5分で八文字屋のジュリーが来たが話相手が居ないので、飲まずに帰る。その5分後にK-keiが来たが入れず帰る。
その直後に苺大福をお土産にSiacca章子さん、行近さん、浦田さん来る。更に森下さん、米澤さんと続く。
不便かつ忙しい夜だった。電通の和泉さんはパリ写真集を買う。仲間の島隆さん同伴。
章子さんグループがTシャツを3枚、北京の男性はTシャツ一枚買って下さった。
中国の女性が帰り、20歳の男の子、更に女性が来て、草間夫妻が対応して下さっています。
今日も3時まで営業しました。明日の朝8時30分には、工事の方たちが入れるように開けます。
2025/1/16(木)
昼はほんやら洞のキャビネ写真1000点から300点に絞った。更に100点に絞って書下し「ほんやら洞の青春(仮題)」(月曜社)に使用する予定。5月30日のほんやら洞53年記念の出版に間に合うかな? 4月の八文字屋開店40周年記念に何か出版できるか? 時期がずれてもいいや。
10年前のこの日の未明、京都市上京区今出川通寺町西入ル大原口町229の喫茶店「ほんやら洞」(1972年春開店)が不審火によって焼失した。
今春、曲がりなりにも、1970年代の「ほんやら洞」を回想する拙著「ほんやら洞の青春(仮題)」(月曜社)が陽の目を見ることになる。本書、上梓後、甲斐写真展が京都・東京・九州で出来ないか、考えている。
657頁の拙著「ほんやら洞日乗」(風媒社2021年4月1日刊行・¥2000+税)は火事前後の1年間の甲斐扶佐義の日記だ。10年はあっという間だ。
工事2日目。午前中に終わる。
疲れた。1時~4時眠る。
今日も北白川伊織町のロンドクレアントの梅棹マヤオさんが愛犬パリと散歩中に遭遇。パチャンガ。
すごい夢見てた。西陣から渡月橋まで知人2人と歩いていてそこらじゅうの軒下から猫が何百尾がでてきた。どこのコーナーを曲がっても撮れ!と言わんばかりに。内容は省略(笑)。
毎日、ぼけた不思議?なことが起こる。八文字屋のホール?に立っていて、メガネの右玉が落ちた。直ぐに探すしお客さんも探してくれるが玉は出てこない。
神奈川大学日本常民文化研究所刊行の「民具マンスリー」誌に「フィリピン・イフガオ州の靭皮布・樹皮コミュニティ」を掲載している伊藤徹さんがトップ客。
2025/1/17(金)
今朝も10年前のほんやら洞の火事で焦げたまま残ったプリントを貼った壁の下で寝ていた。
今日、工事はあるかないか連絡がなかったので、念のために9時にスタンバイ。9:45まで待つも来ない。
10時30分京大病院予約なので、向かっていると、10時過ぎに「鍵掛かっているので、、、、」という電話で、戻る。10時10分だ。
工事者が入って確認して、「あっ!乾いてないわ。深度が深かったためかな?今日は作業しません。明日、出直します」というわけで、明日、朝9時だ。今日はコーナンに寄っていて遅れた、という。訊けば大阪から来ているのだ、という。
京大病院検査結果。全く異常なし、血液検査も同じ。次回は、4月18日午前10:30。血液検査のみ。
開店と同時に、昨夜最後までいた広東人の青年がトップに来店。昼は、清水寺に行きその後八文字屋に来る予定だった。調子はOK?と訊かれる。これから、クラブメトロに行くという。怪爺とだけ一緒だと時間を持て余すのでは?思い、「ろくでなし」を紹介。すると、荷物を置いて「ろくでなし」へ。
昨日、一昨日と2日続けて日本名は朝日、イタリア名はシルヴィアさんというイタリアに5年留学していた北京の女性のインディペンデントのキューレイターとゆっくり喋る。森山大道に興味を持っていたのだが、甲斐写真展を是非、北京でやりたいという。彼女の関心の在処は解る。近い内に再度打ち合わせ予定。
今晩も台南、台中、香港、長沙、西安、メルボルン、シカゴ、ロンドン、ニューヨークからの来客が多く日本人は博報堂、大日本印刷、中国の外交官だか大使だった祖父時代から中国との縁の深いNTT中国絡みの東京在住の赤塚さん(京都府大出身)、鹿さんという構成でした。赤塚さんが中国語が堪能で面白かった。)
昨夜最後のお客さん。2人組は京都在住(右の方は64歳とのこと)で初来店。怪爺写真については詳しかった。
2025/1/18(土)
帰り道で「夜露死苦」の松尾琢也さんの出勤途上に遭遇。
やっと、松隈さんに返信。見返さずめちゃを出し、謝る。
松隈洋著「未完の建築 前川國男論・戦後編」(みすず書房・¥7480)の書評が、本日の毎日新聞書評欄に出ました。評者は松原隆一郎さん。本書の出版を記念して以下のトークショーが開催されます。
罪ほろぼしの告知記事。
松隈洋×林大地「前川國男とアーレント、京都という場所を通じて」
日時:2025年2月23日(日)17時から19時まで
会場:余波舎(NAGORO BOOKS)
会費:1,200円
定員:25名(要申込)
上記イベントに甲斐扶佐義も出席します。
著者の松隈洋さんとの甲斐の縁の始まりは 松隈さんの京都工藝繊維大学教授時代、学生の発案で「写真家・甲斐扶佐義アトリエ」を賀茂川北大路橋(東岸)下ルの空地に作るという課題を10人近い学生に講義課題としたところが始まりました。学生たちが作成した建築模型をほんやら洞で見せてくれる際にお会いしました。また、元京都市経済局中小企業診断士の北沢恒彦(退職後、京都精華大学人文学科『風土論』講師)の講義を最初から最後まで受講した故京大教授・那須耕介(法哲学)さんが講義録と北沢さんの市役所でやった商業診断録等を保存しており、北沢恒彦さんが宮内嘉久と交流があったこともあり、その書類を松隈洋さんを通して工藝繊維大学に生前の那須さんが寄贈するということがありました。そこから、松隈さんの院生・和田さんが整理して、北沢恒彦の仕事を京都工藝繊維大学の資料センターでこの3月に展示する運びになった。甲斐は1979年頃から北沢恒彦の京都市中小企業所の広域商業診断等を手伝っていた関係上、3月からの北沢恒彦展?北沢恒彦の肖像写真を提供することになった。
草間喆雄展は凄い!壮観だった。@京都文化博物館。1月25日までです。是非、ご覧下さい!
文博では河田孝郎さんの作品を久しぶりに見る。彼とは久しく会っていない。
やはり、清水忠さんだった。10日ほど前に京都市立芸大染色科出身で学生時代に芝居をやっていた方が亡くなった、という風の便りを聴き、よもや忠さんではと思っていたが、忠さんだった。ぼくより12歳上で、35年くらい前は写真の通り八文字屋で大活躍していた。麻田脩さんも寂しくなるだろう。
今晩の八文字屋は暇になるか?塗装のシンナーの臭いがきつ過ぎると思いつつ開店。
明日の朝も9時から塗装らしい。
トップは、いつもSの写真集を買っていた立命館大学探検部出身の但馬信金の清水裕明さん来店。次いでハンガリーのカップル、台北のカップルとスローな出だし。清水さんのお母さんは90歳でまだ蕎麦を打って店をやっているらしい。娘は青年海外青年協力隊員とやや誇らしげ。
今晩は、台湾、中国、ハンガリー、メキシコの人たちにまじって日本の男女が4~5人いました。ひとりは日本人かどうか不明でした。
珍しく12時丁度にお客さんが引けて掃除をしているところに名古屋の西川さんが来たが、明朝8時から塗装の人がくるので、帰って貰った。
2025/1/19(日)
昨夜は久しぶりに温(オン)ちゃん(川島温子)が来店。
東大闘争、エンプラ闘争は遥かに昔の話になる。
一昨日は工事なし。昨日あり。今日は9時前から。今日で工事終了。明日以降、カウンター内使用可能。
変な言い方かも知れないが、今が俺に取って人生最高のときかも。
マリィさんに連絡を入れる。
帰りの途上、船橋英二さんに遭遇。
FBから出た画像。
火事に次いで人喰いバクテリアに侵され、あわや片足切断か!?という憂き目を乗り越えた頃だが、浮かぬ顔をしている怪爺でした。
Tシャツ、看板猫ピンクM希望が2人続いたが、XLしかなし。残念!
開店前にいきなり9人のフランスの若者が雪崩れ込んできた!次いで、中国人たちで、北京からの中国語の先生、北京の中央学院の美しい美術教師、海南工科大学の先生と、皆、教師で日本人は、銀座のギャラリストと京大建築学科院生の息子だけだった。9対4対2です。
2025/1/20(月)
家、八文字屋の家賃少し早いが入れる。
ルネに根岸さん、Sとで行く。やはり、松隈洋さん・林大地さんの集会に出ようと思い、林大地の「世界への信頼と希望、そして愛 アーレント『活動的生』から考える」(みすず書房)を買う。そしてアイザック・B・シンガー「モスカット一族」(未知谷)を注文。
5時から八文字屋。掃除は根岸恵子さん、段ちゃん、Sでやる。シンクのホースがアウトとわかる。段ちゃんに買いに走ってもらったカイなし。
客ひとりの中国人を逃す。あと4人の中国人。そして植田元気&女性。
八文字屋は今年で1番暇だった。今日も昨日とあまり変わらない。
例年は、今頃、JCのメンバーが全国から数千人が京都を目指してきていたが、コロナ以降はそれが途絶えた。途絶えた理由の一つに京都のホテル代が高騰していることもあるに違いない。
この3~4ヶ月の全体の状況を振り返ると、オレは幸せ者だなぁと思っていると、いきなり、今日の客がガクンと落ちる。ちょっとショック。半年後の皮算用も無に帰すか。頑張らないと。
1976年の3月の書き殴りを捲る。
2025/1/21(火)
松屋、セブン・イレブン、S宅に行く。根岸さんは六地蔵に行っていた。次の巡礼の道行きの打合せらしい。
ぼくは管理会社バリューアットに契約の書類読み合わせに行く。奈良井さんハンコ忘れ。
夕飯は蕎麦。薬飲み忘れ。
南京客、尾崎真人さんだけで、店の中がガラガラだったら普段ズカズカと入ってくる中国人の来客もパッと開けて「バイ、バイ!」と言って帰って行く。そんなものだろう(笑)。飲食店にとって古典的鬼門の「ニッパチ(2月・8月)」の「ニ」はもう始まっているかな?今年最悪か!?と思っていたら、今年初めての吉田寮住人のイギリスからきた立命館大学院生の政治運動家の「赤松君」がきて暫し歓談。林大地さんの「世界への信頼と希望、そして愛 アーレント『活動的』から考える」(みすず書房)を見せると、彼はコーフンする。「修論が単著になっているの!?俺と同じ年やんか!」と。松隈洋さんとの講演会にも興味を示す。今日は茨木市駅前の選挙戦の帰りだという。
トランプ、イーロン・マスク、ドイツとイギリスの政治のことを少しずつ取り留めもなく喋ったが、ぼくとしては兎に角、2月23日の出版トークにおいでよ!と言う。
5日間探したが、出てこないので、諦めてメガネの玉を入れた。すると、やはりスカッとする。
2025/1/22(水)
昨夜、最後に元中信の方が東京の女性ミュージシャンらをつれて(丸太町の能楽堂でライブをやってきた」と来店。その時、うーん!?丸太町の能楽堂、、、とひとりこっそり唸っていた。が今朝調べると嘉祥閣能楽堂というのがあった。ぼくはこの30年近く京都のダイナミックな動きを捉えられていないのだな、と悟る。
今月、もう3回も売上1万円以下の日があった。
カナダはバンクーバーから来た写真をやっている中国南部出身の会計士の肖像を撮り損なう。アルゼンチンを撮影した素敵な画像を見せてくれる。清楚な女性だった。Instagramの「いいね」の快進撃は続く。
夜中、痛いメッセンジャーあり。浮かれている場合ではないぞ!褌を締め直さないと。
昼は、サフラン、イカ、浅蜊、蛸を買って、根岸さんとの最後の食事を準備。
久しぶりに浅利ちゃんバイト。尾田さんも初来店で姫路の銘酒「灘菊」(特別純米初しぼり)をプレゼントしてくれる。髙橋さんは浅利ちゃんと怪爺に崎陽軒のシュウマイをお土産。鹿さん、オーストラリアのアーチスト、ミノル君、森下さん、K-kei。
向山君が力仕事を手伝ってくれるという。もうひとり人手が欲しい。
中国から7人の来客、その内ひとりはバンクーバー在住。昨日のトランプ就任式で聖公会の主教が面と向かってトランプ批判を敢行したが、日本ではあまり報じられなかった。
根岸さんは夜行バスで帰る。
2025/1/23(木)
福島で震度5弱の地震。
Instagram最高は、今朝9時で1462。22:00に1577。
午後2時間昼寝。
5時から店整理。今日は段ちゃん、ロックン広場開演前のマリィさん、京大1回生の向山シンさんのおかげ片付く。
イタリア人(ベルリン在住)、フランス人アーチスト&さえちゃん友人、中国人、マーク&友人、市村君、初来店組ふたり、マリィ&田中さん。
2025/1/24(金)
0時50分Instagram最高は、1600。7時Instagramは、1609。これで、流れは止まる。
久しぶりに帰宅。
洛北スクウェアもパチャンガも久しぶり。
八文字屋開店40周年記念写真集に早急に取り掛からねば。全3、4巻を考えており、「八文字屋を騒がせた人々」「Instagramセレクション」「京美人」(全て外国人)「甲斐写真ベストセレクション」かな。いずれも300部限定。
確定申告作業をやりつつ、でも慌てずにやる。
どうしたんだろう? 去年華々しく?デビューした「ラーメン大戦争」がここのところ閉じたままだ。
八文字屋は、19時に開店。
シルヴァン久しぶりにモントリオール、ロサンゼルス、イタリアの知人同伴。サエちゃんも来たが、シルヴァンが帰るというので、直ぐに帰る。
Sungha、ソウダミオさん、大東さん来店。
2025/1/25(土)
すごい夜になった!!
洛北高校時代のほんやら洞常連(共に還暦の)浮田哲さん(『情熱大陸』ディレクターを経て大阪羽衣国際大学教授)、大久保さんがコロナ禍以前だから、数年ぶりに揃って来店したが、2人の撮影を忘れた。龍崎さんという姓に負けず美しい女性と呑海さんの同僚来店。
昨日に続いて、今晩も Sungha Kimが来八。髙山佳奈子京大法学部教授も、彼に合わせて来店。
Kimさんが、韓国の歴史、現在、今後を北朝鮮、中国、アメリカの動向を絡めてらどう見ているのか、とてもスリリングかつ刺激的なのです。
初来店した黒川紀章さんの最後の秘書を務めていたソウダミオさんも、昨日同様来店。彼女・彼の話をぼくは耳をダンボにして聴くことになる。
ローゼリーが25年ぶりに顔を出し、ロシア語とポルトガル語でマヤコフスキーの詩を朗読するという一幕まであった。メンツだけでもすごいのに、お互いが話している内に、それぞれのお客さんが幾重にも絡まっている。それだけで一編のストーリーになる夜。ブラジル人のローゼリーは東大でロシア文学をやっていたとは初耳。彼女は31年前甲斐の「原宿倶楽部」で写真で会っただけだった。それが、シゲル・ワタリ立命館の客員教授時代に八文字屋に来ており、妻ローゼリーの東京での写真展での出会いを話し、2人は同一のKaiについて喋っているのに後で気づいた。シゲルの教え子の女性学生が三重県で行方不明になり、やはりシゲルの学生のボーイフレンドが朝日新聞の記者になってからも懸命に探した。その話は国際的な話題になった。1999年4月にシゲルは立命を辞してサンパウロに帰る際にKaiに約束をした。「ミレニアムの元旦にKaiをブラジルに呼ぶ」と。ミレニアムが近づいても、更に時が過ぎても連絡がなく、彼女探しでくたびれた記者が来八したのでKaiがシゲルから連絡はあるか?と尋ねた。それで、シゲルが日本から帰国直後に自宅で殺されたとわかった。子ども、妻の消息は不明だった。シゲルは某企業からの立命館への客員教授で原子力と政治に強い関心を持つブラジルの「第四インター」の活動家だった。それが彼の暗殺に関係があるのでは?とKaiは思い続けていた。ローゼリーに会ったのでこの疑問について訊ねた。すると、彼女もブラジルでは口外しないで来たが、同じ思いを抱いていたという。シゲルの兄は大富豪でシゲルと仲が悪く、シゲルは、その辺りから何か問題が出てくるかも知れないと恐れをローゼリーに口にしていたという。ローゼリーもシゲルの死はずっと政治が絡んでいると思っていたらしい。ローゼリーの事が長くなかったが、その件をKimさんに話をするつもりが、元八文字屋のロシア人のバイト・ターニャ(タチアーニャ)の元中国人の海洋生物学者の京大の博士や、吉田寮のイギリス人の「赤松君」、黒川紀章の最後の秘書、バルセロナ在住のブラジル人、京大法学部教授髙山佳奈子さん、等々が来て、それぞれが人的にも仕事的にも運動的にも関連があることが判明して盛り上がり、夜は更けた。そして、ローゼリーにKaiも2,3年内にサンパウロを訪問すると伝えたが、これを機会に体力を鍛え直そう。
遅くいしいしんじさんが近衛中学の吹奏楽団の父兄仲間とやってきた。
2025/1/26(日)
バス利用で、島原(西新屋敷)周辺散策。いちご大福は¥280だった。先日章子さんプレゼントは¥2000分とわかる。輪違屋には入れず。角屋周辺を歩く。大門の猫ベストを撮り損なう。西門は無くなっていた。
大変な夜になった。
海運関係に従事し、自身もパイレーツ(父がエジプト、母)がベネズエラの方の幾人かの軍閥に支配され、腐ったベネズエラでは革命を起こすしかないと喋っていた彼の話をもう少し聴きたかったが、営業中だ。小学校をベネズエラで過ごした西田さんが西川さんの件で来店したのだが、ベネズエラの話を正面から聴いた。
2025/1/27(月)
深田祐輔情報。「昨年ロスで開催されたBeyond Japanプログラムでご一緒した渋谷悠監督の作品が現在東京は新宿、恵比寿、立川、武蔵村山、京都は京都シネマなど全国で公開中です!舞台監督でもある渋谷監督はバイリンガル既にベニス映画祭などでも作品が上映されるなど、これからさらに日本だけでなく世界で見られる作品を作って行かれる方ですので、ぜひ今から彼の作品を追っかけて行きましょう!僕は今アメリカなのですぐは見にいけないのですがぜひ見た方ご感想共有お願いします。僕も渋谷監督に追い付けるようコツコツ頑張ります」
2025/1/28(火)
森永卓郎さん死去。
5時から店に入ってけど、片付け、遅々として進まず。エネルギーが枯渇している。
「この2~3日なんとかインフルエンサーを争うているらしい何人もの日頃FB上の付き合いのない知人や知人でもない方から「支持」をもとめられている。知人がインフルエンサーになると、誰にとって、どんな良いことがあるのだろうか?インフルエンサーが「いいね」とすれば、何かいいことがあるの?」(これが食わせ物だった)
トップは北京からのお客さん。福知山マラソンに2回、別府ー大分マラソンに一回出たことがあるという。持参の獺祭をいっぱい注いでくれる。
次も上海からの30歳のゲームを作るIT企業で働く青年。両親は、56歳と59歳で昼、神社仏閣回りをして両親が寝たところ抜け出して来たという。普段は富山、徳島とか地方を回るらしく、次回は青森の寺山修司記念館に行く予定だという。写真家はミシシッピーの写真家が好きという。
尾崎真人来店。
こんなに80年代、90年代の八文字屋の常連のお客さんが居なくなってしまったので、「八文字屋40周年記念」本をすべきか迷っている。
写真が燃えてなければ写真、写真、写真と行けた。写真全てが燃えたわけではない。
記念日に出そうと焦っているわけではないが、工夫して面白いものにしたい。
ジョン・アイナーセンさん一行来店。
2025/1/29(水)
松屋百万遍は改装中。
先ず、民医連あすかい病院に行き、70日分の降圧剤を出して貰った。
別の松屋でシャケ定食、郵便局後、あすかい病院、スガ薬局。居眠り。
5時30分には八文字屋入り。
木屋町通・河原町通はとても静か。
中国では、春節祭。浅利ちゃんが来るまで寝て本でも読んでいる。
やはり、トップは中国女性でした。
2番目は京大の物理学の研究者たちです。3番目も中国人たち。
中国女性たち大いに寛ぐ。世界から集まった京大の物理学者たち、宗教者会議の取材に上洛した共同通信の西出勇志さん&上田記者(京都)、K-Kei、米澤さん。文弘樹さんの近況も聴く。浅利ちゃんバイト。
西田大智記者の動き良し。
2025/1/30(木)
桂枝雀写真vs林幸治郎一座@KBSプリント出現。
PS、11万。
松屋改装工事中。
セブンイレブン。
中西進・井上さやか著「中西進と万葉画を楽しむ」(淡交社)が2月上旬に刊行されるようだ。装丁は、浜田佐智子。
大阪高裁が、赤木雅子さんの訴えを認め、情報開示へ。
トップのお客さんはヒデタロウ&滋賀の成安出身のイラストレーターの蒔田クロエさん。蒔田さんは統合失調症から立ち直った画家と本人が言う。宇野亜喜良の絵が好きと言う。滋賀の成安で絵を描きながら、京都市美のヌードモデルのバイトをしていたらしい。
今日も日本人のお客さんは3人だけでほとんどいない。
覗いて帰る方も2人いたが、ほとんどいず、外国からの方ばかり。イェローストンに住むベネズエラの船舶会社をやっている男(父はブラジル、母はベネズエラ)
中国人たちも11時過ぎに冷え込みを予知してか?皆引き上げていった。4ヶ月前も来八した女性ジョーイ?さんが2人のアレックスさんという友人を同伴。友人はTシャツ、写真集を購入。
2025/1/31(金)
8時起床。先斗町の瓦屋根の上に朝から座っている猫を撮る。
星野さんから清水忠さんの亡くなり方についてメールあり。
サイゼリア。
ドクトル勝野見参。モノシャカグループ来店。イタリアの学者2年ぶり。森下光泰さん来店。
深夜よく客を連れてきていた34歳のドイツ人(仏教研究)ろくでなしの客・トビアスが、2週間前に亡くなったときく。
西川さんより名古屋の有松の弘法堂を撮って欲しいと電話。
斉藤林晶久しぶり。昨日、25日に来た中国人の青年(李佳航1998年3月21日生)、斉藤林昌と浅利ちゃんと音楽談義。